その149の12018年  卯月

タイアよさらば!
スタッドレス交換 4月1日(日)晴

交換タイアを2輪揃えて転がして運ぶのだが、転がせそうもない。
ランドヴェンチャーのノーマルタイヤ保管場所をいつもの轆轤室横では無く、作陶場にしたので車庫まで転がすとなると
森の中を通らねばならず、森の道にはアップダウンが3か所もある。
1個19kgもあるタイアを2個同時に転がせば、下り坂では勝手に暴走するし、登り坂では上げられず完全にギブアップ。

そこで一輪車を使うことにしたが、となると今度は倒木が森の道を塞ぎ、
タイアを運ぶには倒木の伐採から始めねばならず、畑、庭仕事が山積し猫の手も借りたいのに、なんつーこっちゃ!。


春じゃ! 山荘は百花繚乱


芝桜(滝下)

芝桜(前庭)
焦ると事故る危険性が高まるので、
良く云い聞かせながら
恐ろしいチェーンソウで
タイアロードを切り拓く。

タイアを固定するボルトは5本あり、
タイアそのものも大きいので
フェリオより面倒かなと
ジャッキーで上げてみると簡単。

タイア径が大きい分
持ち上げ高さも大きいが、
フォイール位置をバルブに合わせる
必要が無いので楽ちん。

左右のタイアバランス調整に
ウエイトが3枚~7枚程付いているが、
さてこれはいつものように無視するか!
で、調べてみて吃驚!


三つ葉躑躅(石卓)

三つ葉躑躅(石卓)




タイア運び出し(作陶小屋)

つまりタイアの左右バランスには関係なく
ウエイトはタイアそのもののバランス調整だったのだ。
そこで安心して左右前後を気にせず
タイアを取り付けたのだが、実は
走行後にはタイアバランスが変わるので、交換時には
フォイールバランサーで測定すべき。

とは言ってもここ20数年間無視して
タイア交換してたので、
ま、いいか!
このウエイト、左右のタイアバランスかと思いきや、
タイアそのもののバランス調整だったのだ。
つまりタイアは真ん丸に見えるが実は
上下左右に僅かづつブレていて、高速回転させると
そのブレが明確になり車がガタガタするとか。
そこでフォイールにウエイトをつけて回転ブレを0にする。
 
1個19kg(作陶小屋)



大杯咲き黄水仙(前庭)
 ≪仙人20%死す≫ 
遂に死んだか!と
思わず叫ばずにいられぬ瞬間。
半年の車検期限が
4月22日までなのでタイア交換してから
持って行こうと昨日ディーラーに
ランドヴェンチャー持参。

新車は各部品の製造過程で生じる
研磨による金属切削屑が、
オイルに混入するので
走行1千km以内にオイルチェンジする
必要がある。
これ以降は5千km走行毎の
オイル交換となる。
従って次回は6千km走行後。

現在の走行距離は794kmなので
オイル交換適齢期。
エンジンオイルのタンクは
5リットル程の大きさだが3リットルにして、
循環力の負担を軽くする。
ジャッキーで車を持ち上げ、
オイルを抜き新たなオイルを入れ、
電気系統をチェックし所定の検査終了。

タイア空気圧は
通常2~2.5気圧なのだか、
ランドヴェンチャーは前輪が1.6気圧、
後輪が1.8気圧と
指定されているので微調整。
昨日タイア交換したので念の為と
序にボルトの占め具合を確認してもらった。

白銀大杯咲き水仙(前庭)

大杯咲き水仙(前庭)

橙大杯咲き水仙(前庭)
 
喇叭咲き水仙(前庭)

 八重咲き水仙(前庭)



森の道造り(北の森)


手で締めた後パイプスパナでの締めを
忘れていたと云うことだが、これには流石に仙人も蒼くなった。
記憶ではしっかりパイプスパナで締めていた筈。

これは直近の記憶を海馬体が捉えて
大脳皮質に送る以前の問題で、
海馬体にすら行為が届いていないことを意味する。
このままチェックせず走り続けたら、ボルトは
急激に緩みタイアは走行中に突然外れ
車は激突間違いなし。
固過ぎると緩める時に難儀するし、緩すぎると
外れる恐れありと懸念したのだ。
ところがだ、驚いたことに1輪5本×4輪=20本のボルトの内、
な、ナ、何と4本ものボルトが緩んでいたのだ。
4本と言えば全ボルトの20%、
つまり仙人は20%死んだのだ。
 
これで通れるか(北の森)




森の宅急便(北の森)

森の散歩じゃ!(北の森)
うーん、遂に此処まで老衰したか!
仙人よ山荘活動に見放される前に先ず、
車に別れを告げねばならぬ。
未だ買ったばかりだが、
このままでは

早晩事故って人身事故を引き起こす
可能性大につき車を捨てるべし。
で、車を点検しているお爺さんを観ると
どうみても80歳は越えている様子。

訊いてみたらここ福田オートの
2代目社長で、現在息子が
3代目社長で操業70年になるとか。

ランドベンチャーをこの店で
買うと決めたのは
息子の3代目社長の寡黙な人柄だった。

いよいよ登り坂(北の森)

下りは暴走(北の森)




杏満開(奥庭)

それが朴訥とした話しぶりで、地元ならではの
信頼感が犇々と伝わって来るのだ。
その場で直ぐ3代目社長と購入契約成立。

2代目社長の娘は嫁に行き2人の息子の1人は
車を嫌って勤め人となり独立。
長男に社長を譲り従業員2人と一緒に
2代目社長は福田オートを支えているのだそうだ。

車検扱い台数は700台と言うから
それだけでも7千万円以上、従って年商は
2億円程になるのだろうか?

此処まで会社を育てあげ息子に営業を任せ、
忙しいときだけ趣味程度に
整備手伝いをしているのかと、作業の様子を観察。
山荘を下り街に出る途中にある
最も近い地元・スズキ販売店。
甲府スズキアリーナにランドベンチャーを求めてフェリオを
走らせた時、ちらりと眼に入った店なのだが、個人営業では
価格交渉も限界があるしと看過。

そのまま車を走らせ甲府で3店のディーラーを廻り、
ま、地元にも訊いてみるかと4店目に入ったのが福田オート。
3店舗の見積書を見せて話してみたら、
社長自ら見積書以下の価格を示し、
更に有料指定ナンバープレートの
無料提供を申し出る。

 
葡萄畑を見下ろす杏(奥庭)



辛夷開く(前庭)
作業手順はしっかりしているし、
運転免許証返納を
勧められている年齢だが、
車の運転も実にうまい。

商売なのだから当たり前だが、
この老前社長を前に
仙人は老衰なんぞと
贅沢なことは云ってられないと
しみじみ実感!


一番咲チューリップ(奥庭)

未だ咲いてる山茱萸(石卓)

片栗も忘れずに咲いた(前庭)

畑は菜の花で一杯(西畑)
 
春蘭(北の森)
老衰と云った途端、
紛れも無く逃げなのだ。

其れを知っていて
敢て「老衰」なんぞと
(たわ)ける仙人を許していいのか!
なんぞと檄を飛ばしながら、
福田オートを後にする仙人でした。 
 
紅梅&白梅(奥庭)




活動と停止をるブレーキディスク
言の葉に弄ばれる森の中の仙人

やはり感じてくれたかと嬉しい!
同じ作品を読んで共感しあえると云うことは、 感性や思考回路が互いにどこかでしっかり繋がっていること。
時間と空間に隔てられることによって益々鮮明になり、
意識下では常に共に活動していることに気づき、繋がりの深さに驚く。

その意識下の活動をヴァーチャルから現実へと移し替える可能性が、 今なら未だあると、
考えるだけで何とも贅沢な気分になる。
隔てられた時間と空間の長さと広がりが、無窮となる生命の特異点を目前に見据え、
もしや真の贅沢とは特異点を超え
現実を喪失した後にこそ実感出来るのではと思う。 


大根草(西畑)

片栗(前庭)
知的生命が遠い未来に肉体を捨て、
主観と客観の境界を超え
純粋に思弁的な原理を取り出し
純水思惟に還るなら、

思弁そのものに悦びを内在した
贅沢があると示唆しているのでは!
何故なら進化は
常に歓びの追求を原理とするから。

なんぞと昔ちょっとだけ齧った
ヘーゲルの「カント哲学」についての断片を、
徹底的に曲解して、

仙人的思弁を加え
意識下の活動を現実へと
移し替える可能性を眺めて観る。

白椿(奥庭)

紅白椿(奥庭)



どっこいしょ!(駐車場)

さてどの位置にするか!(駐車場)
実践や経験の累積として記憶があり、
その記憶が歓びを
生み出すなら歓びは極めて

主観的であり到底、
時間と空間を凌駕する思弁に
至ることはあり得無い。
土台記憶そのものが思弁と
対極にあるのだから
幾ら曲解とは言え、仙人的思弁では
豊穣な記憶を

純水思惟にまで高め、肉体を
捨て去り思弁の世界に
歓びを実現するのは不可能なのでは!

ま、どこでもいいか!(駐車場)

バランスを無視!(駐車場)




妖艶なチューリップ(奥庭)
にも拘らず現実的に歓びの記憶は
、永劫の思弁となって
仙人に豊穣な心象を齎すのだ。

それこそが実は
思弁の原理であり、主観と客観の
同一性が実現した瞬間であると、
フィヒテの体系の原理から
導き出されるでは!

嘗てこの主観と客観の同一性から
数学こそ純粋思惟そのもの
ではと、自らの着想に興奮したが、
誰も耳を傾けはしない。

だがそんなことはとっくの昔に
きっと誰かが述べているに違いないと
調べたが資料は見当たらず。

そのまま50年も放って置いたが
ふとネットで調べる気になって
、純粋思惟と打ち込んで、おっ魂消た!

純粋思惟なんぞと云う
言葉はヒットしないのだ。
ネットサーフィンの結果どうにか
1つだけ探し当てたが、

数学との関連に
触れた文献は見当たらず。
純粋思惟なる言葉そのものが
既に死語なのではと実感。

雌蕊が青く光るチューリップ(奥庭)



ジャッキーで吊り上げて(ディーラー)

オイルキャップを外して(ディーラー)

異常なし(ディーラー)

繋がりの深さに驚き、
その深さを推し量ろうとちょっとだけ
齧ったヘーゲル
なんぞを反芻したら、
繋がりそのものが時間と空間を超え

既に死んでしまった
純粋思惟化を開始し、量として
蓄積され、構造を成し

多様な空間を展開し、絶え間なく変容し
数式化の素振りさえみせ、
既に仙人の中核に

鎮座ましましていると気づく。
ならば常に共に活動してる感覚は
必然の理なのだ。
 
オイル抜き(ディーラー)

そんな風に、
齧ったけど少しも
美味くなかったヘーゲルなんぞの
言葉に(もてあそ)ばれ、

せっせと畑を耕したり
車を(いじく)り回したりながら
今朝も仙人は混沌するのだ。

 
エンジンオイル交換(ディーラー)



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