その144の2ー2017年 霜月
芒の海となった山荘原野を散歩する仙人 あれっ、冨美代さんが消えてしまったぞ!11月5日(日)晴 ゴーヤーの撤去を始め、210本の玉葱苗を移植し終わり、山荘壁面の時計を見ると2時。 野良仕事を終えるには未だ1時間早いが、歩くのが遅い冨美代さんの体力を考えると、 山散歩に出かける時間かなと早々と畑から上がる。 夕日の差し込む紅葉の森の華麗な彩に言葉もなくただ吸い込まれ、この上ない贅沢な時間を堪能する。 雨の日も風や雪に襲われた日も、その都度異なる表情を愉しみ、すっかり山荘の奥庭と化した扇山の小路。 その奥庭のような扇山で、冨美代さんが忽然と消えたのだ。 |
芋掘り、紅悠収穫 |
先ず蔓を引き抜いて! |
蔓を葡萄畑まで運んで |
山頂から100m程下った 急斜面の手前で、 遅れて登って来る冨美代さんとすれ違う。 先に降りて夕餉の仕度を しておこうと「頑張って!」 とエールを送り別れる。 まー時間差にしても僅か数分なので、 幾らゆっくり下っても 10分か20分の遅れで山荘に戻る であろうとテラスにテーブルセットし、 料理を載せあとは食事直前に オーブンでばら肉を焼けば 終わりと準備完了。 |
しかし戻らないので 携帯電話を掛けようとしたが、 その冨美代さんの携帯は キッチンのゴミ箱の上に置きっぱなし。 仕方なく先に風呂に入り出てくるが 未だ戻っていない。 流石にこれは歩くのが 遅いだけでは済まされない。 下山中の急斜面で転倒し捻挫、 悪くすれば骨折し動けないに違いない。 即活動服に着替え靴を履き直し、 今度は下山路の西ルートから 登り返し事故現場へと走る。 |
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スコップで掘って! |
1本の根から5個も |
山頂直下で別れ忽然と消えた! 神隠しとしか考えられないぜ! グーグルマップ空撮画像より しかし山頂直下の急斜面に人影無し。 落日しつつある扇山山頂に16時35分に着き、携帯電話を掛ける。幾らなんでももう山荘に着いている筈なので、 キッチンのゴミ箱上に置き忘れた携帯に気づき電話に出る筈。 だが圏外で通ぜずメッセージを入れる。「もう着いてると思うが、山に登るときは携帯を忘れるな!」 それでは今登って来た最短の西ルートから下ろうと山頂を後にする。 だが待てよ、電話は通じていない。つまり山荘に冨美代さんが戻ったと確認した訳では無い。 冨美代さんが最短の西ルートから下ってないことは確かめたので、下るとしたら登りに使った東ルート以外にあり得ない。 若し戻って無いとしたら、この東ルートで骨折し動けなくなっていることも考えられる。 |
ユーグルトに塾柿 |
向日葵に陽が落ちる |
山荘果物無花果、柿、梨 |
しかしこのまま遠い東ルートに入ると、 昼でも薄暗い森を下らねばならず、 日没後の闇に襲われる。急げ! 目を皿のようにし急斜面を見詰め、 血の跡やスリップ痕が 無いかを探しながら下る。 何も見つからず安心して 東ルートから山荘に戻る。 99%間違いなく戻っていると キッチンのドアを開けるが、山荘は 静まり返っている。 有り得ない事が起こった。 通い慣れた山荘の奥庭から 忽然と姿を消した冨美代さん。 |
熊に襲われ 森の奥に引きずり込まれたか、 自ら姿を消したか、 いずれにしても生死に 関わる事故が起きたのだ。 昨夜は山荘で2℃まで気温が下がり、 薄着の冨美代さんが山中で 一夜を耐えることは難しい。 一刻を争う事態。 110に電話すると、即パトカーを 山荘に向かわせるとのこと。 しかし塩山地元の 日下部署に代わり当直警官が出ると、 署まで来て 捜索願を出してくれと云う。 |
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風呂から出ても未だ帰らず |
陽が落ちたら急激に寒さが襲う |
夕餉の仕度も終わったし! 下柚木だって、それじゃ山荘と反対側の牧丘の笛吹川へ 下ったと云うことか! 山荘と反対の太陽の墜ちる西側に下っているとの 自覚が無かったのか! 自分の家の奥庭で迷い行方不明になるとは! 熊は襲われない。 熊を捕食するような大型で強暴な動物は 日本には居ない。 従って襲った獲物を横取りされることも無く、 熊は襲ったその場所で悠々と獲物を食べる。 獲物を森の奥に引きずり込む習性は無く、 従って熊に 襲われた可能性は考えられない。 |
「骨折して重傷を負って戻る可能性があり、 一刻を争う今ここを離れる訳には行かない」と伝える。 高齢化が進み呆けた徘徊老人が しょっちゅう行方不明になり、日下部署から月に数回は 不明者の特徴を伝える捜索放送が流れるが、 当直警官はその手だと思って動こうとしないのだ。 行方不明になって3時間半、真っ暗になった山荘前庭に ライトを灯し山荘位置を明らかにし、次に打つ手を思案。 そこへ御凸から出血し、 顔中擦過傷を負った冨美代さんが タクシーに乗ってやって来た。 「此処は何処ですかと訊いたら、下柚木だと教えてもらいました。 20メートルくらい急斜面を転げ落ち打撲しました」 絶句! |
後はばら肉をガスオーブンで焼いてと・・・ |
中腰で玉葱210本移植し腰痛 2つ目の、自ら消える動機になんぞ 思い当たる節は皆無。 夢二会の代表、現代女性文化研究所理事、 豊島区から委嘱されている 図書館専門研究員、マンション百年委員と 活動し、更に2回目の本の出版を 目論んで執筆中(?)とか 兎に角忙しく 充実した日々を送っているのだから、 自ら消えるなんて有り得ない。 消去法的にそこから 導き出される結論は唯1つ。 山荘と反対側の山脈の西側へ下ったと 考える以外に無い。 ⤴ |
しかしその結論を導き出すには、 幾つもの大きなハードルを越えねばならない。 先ず山荘の奥庭のように 駆け巡っている扇山で、ガスに巻かれたり 風雪に襲われているでもなく 晴れて見通しの良いこの状況下で 途に迷うなんて考えられない。 2番目に、迷うにしても山荘側、 つまり竹森川へと迷い込み 下山するなら有り得るが、 全く逆方向の西側、太陽の沈む方向に 下れば、下り始めるや否や、 即逆方向と気づく筈との仙人の先入観。 この先入観は 厳冬期の北岳や積雪期の 槍ヶ岳北鎌尾根、北岳バットレス、 穂高岳などでのロッククライミング、 ヒマラヤでの体験などを共にしてきて、 ルートファインディングに対する 充分な判断力を冨美代さんは 養ってきたとの 仙人の錯覚にある。 つまり師である仙人は、 とんでもない錯覚を起こしていたのだ。 ⤴ |
自分では何も判断できない、 ただ人の後をついて登るしか能の無い 似非クライマーしか 育てられなかったことに、仙人は 気づいていなかったのだ。 明らかにこれは 仙人の完全なる敗北である。 3番目に≪迷ったら元に戻れ≫との 教えが全く生かされていなかったこと。 |
陽の落ちる前に散水 |
刻々と黄昏迫る! 訊いてみて唖然! ≪緑のテープが木に巻き付けてある所が 下山路入口だと思っていた≫とのこと。 確かに数年前に下山路入口に仙人は 緑の小さなテープを巻いておいたが、 それは稜線の東側、 つまり扇山から下る右方向に在るのだ。 反対側には森の所有者の 境界を示すかのような緑のテープが仰々しく、 何十本もの木に巻かれている。 誰がどう観たって異様な巻き方で、 案内標識でないことは明らか。 |
本人は間違いに気づき少し戻ったが、 ≪きっとここを下ればいつもの 山荘の途へ出られると思っていた≫と云う。 山脈は南北に走り、その東側、 陽いずる方向に山荘は位置し、陽沈む側に山荘は無い。 にも拘わらず元の途に戻ろうとしなかったこと。 それにしても北に向かう稜線を歩きながら、 一体どこで山荘と反対西側の 下柚木の里に下る途を選んだのか? |
森に陽が落ちる |
捜索で再び山頂に立つが人影無し! |
手前に付けられた 仙人の緑テープを観ずに、 この仰々しく幹全体に 巻かれたテープに引かれて下ったと云う。 東ルートから登って来て 稜線に出なければこの異様な、 ぐるぐる巻きの緑テープの森を 観ることは出来ない。 つまりこの緑テープの森が山荘と 反対側に在ることは 明明白白なる事実なのだ。 それすら認識せず、 そのテープに沿って反対側に 下ったと云う事に唖然。 |
これは最早仙人が 如何に想像力を逞しくしても 考えられないことであり、 唯ただ自らの想像力の欠如に 改めて愕然とするしかない! 更に些細なことを上げれば、 歩き慣れている仙人は 熊避けの笛を持ち、 吹き鳴らしながら歩いているのに 熊の恐ろしさを知っている筈の 本人は持参すらしてない。 携帯電話にしても 仙人は山行中は肌身離さずもっているが、 本人は 携帯電話も持たず無防備。 |
最後の陽が降り注ぐ(小倉山頂からの扇山稜線) |
急速な闇が墜ちる 登攀中にカラビナ束を落とし、この先の登攀継続が危ぶまれ、 ミスは許されないと仙人に諭され以後、 胸に深く刻み込まれていたのでは。 いいや、そんな風にしか 育てられなかった仙人に問題がある。 当然の事ながら未熟仙人は、 未熟者しか育てられないのだと実感! |
果たしてこれらは本人のちょっとした単純な過失なのか、 それとも老化現象も加わっているのか。 山では単純なミスが致命的になると 北岳バットレスでのロッククライミングで 冨美代さんは学んだ筈。 |
高芝山に架かるクロス |
先ずは未だ出血の続いている 御凸の左に 止血と消毒にキズドライを 吹きかけ、濡れタオルで 血を拭き取る。 両肩の藍シャツの血痕が 生々しい滑落を物語る。 ≪それではちょっとした 小さな冒険の記念写真を!≫ はい、パチリ! 無事帰還してみれば 日常生活ではしょっちゅうある ほんの些細なミス。 目くじら立ててあーだ、こーだと 論じる程の事ではない。 しかしそのミスを冒してしまった 当人にとっては、 自らの現在位置を失うという アイデンティティに関わる 問題だけに 他者の想像を遥かに超えた 混乱と恐怖が在ったに 違いない。 ≪いったい此処は何処なのだ?≫ |
その手掛かりすら無い 混沌とした深い森に在って 知を頼りに生きて来た 知的存在は唯狼狽える以外の 術を持たない。 拭おうと幾ら試みても 拭い切れなかった仙人の 幼いころから連綿と連なる恐怖の 1つに混沌がある。 混沌を認識する自らを 認識しつつ自らの 座標を捉えることが出来ない。 0次元の点なのか、 Xだけで表される1次元の存在か、 (X,Y)の面としての 拡がりくらいはあるのか! いや3次元の(X,Y,Z)に 加えて時間軸さえ在るのに 認識出来ないだけか! いいや、混沌は 0次元ですら有り得ない。 混沌、それは 記憶のアイデンティティすら 生み出せない始原。 認識の始原への回帰が 知的存在を 0次元の彼方へ拉致する。 |