その1442ー2017年  霜月

芒の海となった山荘原野を散歩する仙人
あれっ、冨美代さんが消えてしまったぞ!11月5日(日)晴

ゴーヤーの撤去を始め、210本の玉葱苗を移植し終わり、山荘壁面の時計を見ると2時。
野良仕事を終えるには未だ1時間早いが、歩くのが遅い冨美代さんの体力を考えると、
山散歩に出かける時間かなと早々と畑から上がる。

夕日の差し込む紅葉の森の華麗な彩に言葉もなくただ吸い込まれ、この上ない贅沢な時間を堪能する。
雨の日も風や雪に襲われた日も、その都度異なる表情を愉しみ、すっかり山荘の奥庭と化した扇山の小路。
その奥庭のような扇山で、冨美代さんが忽然と消えたのだ。


芋掘り、紅悠収穫

先ず蔓を引き抜いて!


蔓を葡萄畑まで運んで

山頂から100m程下った
急斜面の手前で、
遅れて登って来る冨美代さんとすれ違う。
先に降りて夕餉の仕度を
しておこうと「頑張って!」
とエールを送り別れる。

まー時間差にしても僅か数分なので、
幾らゆっくり下っても
10分か20分の遅れで山荘に戻る
であろうとテラスにテーブルセットし、
料理を載せあとは食事直前に
オーブンでばら肉を焼けば
終わりと準備完了。


しかし戻らないので
携帯電話を掛けようとしたが、
その冨美代さんの携帯は
キッチンのゴミ箱の上に置きっぱなし。
仕方なく先に風呂に入り出てくるが
未だ戻っていない。

流石にこれは歩くのが
遅いだけでは済まされない。
下山中の急斜面で転倒し捻挫、
悪くすれば骨折し動けないに違いない。
即活動服に着替え靴を履き直し、
今度は下山路の西ルートから
登り返し事故現場へと走る。


スコップで掘って!

1本の根から5個も


山頂直下で別れ忽然と消えた!
神隠しとしか考えられないぜ! グーグルマップ空撮画像より

しかし山頂直下の急斜面に人影無し。
落日しつつある扇山山頂に16時35分に着き、携帯電話を掛ける。幾らなんでももう山荘に着いている筈なので、
キッチンのゴミ箱上に置き忘れた携帯に気づき電話に出る筈。
だが圏外で通ぜずメッセージを入れる。「もう着いてると思うが、山に登るときは携帯を忘れるな!」
 それでは今登って来た最短の西ルートから下ろうと山頂を後にする。

だが待てよ、電話は通じていない。つまり山荘に冨美代さんが戻ったと確認した訳では無い。
冨美代さんが最短の西ルートから下ってないことは確かめたので、下るとしたら登りに使った東ルート以外にあり得ない。
若し戻って無いとしたら、この東ルートで骨折し動けなくなっていることも考えられる。



ユーグルトに塾柿

向日葵に陽が落ちる

山荘果物無花果、柿、梨

しかしこのまま遠い東ルートに入ると、
昼でも薄暗い森を下らねばならず、
日没後の闇に襲われる。急げ!
目を皿のようにし急斜面を見詰め、
血の跡やスリップ痕が
無いかを探しながら下る。

何も見つからず安心して
東ルートから山荘に戻る。
99%間違いなく戻っていると
キッチンのドアを開けるが、山荘は
静まり返っている。
有り得ない事が起こった。
通い慣れた山荘の奥庭から
忽然と姿を消した冨美代さん。


熊に襲われ
森の奥に引きずり込まれたか、
自ら姿を消したか、
いずれにしても生死に
関わる事故が起きたのだ。
昨夜は山荘で2℃まで気温が下がり、
薄着の冨美代さんが山中で
一夜を耐えることは難しい。

一刻を争う事態。
110に電話すると、即パトカーを
山荘に向かわせるとのこと。
しかし塩山地元の
日下部署に代わり当直警官が出ると、
署まで来て
捜索願を出してくれと云う。


風呂から出ても未だ帰らず

陽が落ちたら急激に寒さが襲う



夕餉の仕度も終わったし!

下柚木だって、それじゃ山荘と反対側の牧丘の笛吹川へ
下ったと云うことか!
山荘と反対の太陽の墜ちる西側に下っているとの
自覚が無かったのか!
自分の家の奥庭で迷い行方不明になるとは!

熊は襲われない。
熊を捕食するような大型で強暴な動物は
日本には居ない。
従って襲った獲物を横取りされることも無く、
熊は襲ったその場所で悠々と獲物を食べる。
獲物を森の奥に引きずり込む習性は無く、
従って熊に
襲われた可能性は考えられない。
「骨折して重傷を負って戻る可能性があり、
一刻を争う今ここを離れる訳には行かない」と伝える。
高齢化が進み呆けた徘徊老人が
しょっちゅう行方不明になり、日下部署から月に数回は
不明者の特徴を伝える捜索放送が流れるが、
当直警官はその手だと思って動こうとしないのだ。

行方不明になって3時間半、真っ暗になった山荘前庭に
ライトを灯し山荘位置を明らかにし、次に打つ手を思案。
そこへ御凸から出血し、
顔中擦過傷を負った冨美代さんが
タクシーに乗ってやって来た。
「此処は何処ですかと訊いたら、下柚木だと教えてもらいました。
20メートルくらい急斜面を転げ落ち打撲しました」 絶句!

 
後はばら肉をガスオーブンで焼いてと・・・



中腰で玉葱210本移植し腰痛

2つ目の、自ら消える動機になんぞ
思い当たる節は皆無。
夢二会の代表、現代女性文化研究所理事、
豊島区から委嘱されている
図書館専門研究員、マンション百年委員と
活動し、更に2回目の本の出版を
目論んで執筆中(?)とか
兎に角忙しく
充実した日々を送っているのだから、
自ら消えるなんて有り得ない。

消去法的にそこから
導き出される結論は唯1つ。
山荘と反対側の山脈の西側へ下ったと
考える以外に無い。
                           
しかしその結論を導き出すには、
幾つもの大きなハードルを越えねばならない。
先ず山荘の奥庭のように
駆け巡っている扇山で、ガスに巻かれたり
風雪に襲われているでもなく
晴れて見通しの良いこの状況下で
途に迷うなんて考えられない。

2番目に、迷うにしても山荘側、
つまり竹森川へと迷い込み
下山するなら有り得るが、
全く逆方向の西側、太陽の沈む方向に
下れば、下り始めるや否や、
即逆方向と気づく筈との仙人の先入観。

 この先入観は
厳冬期の北岳や積雪期の
槍ヶ岳北鎌尾根、北岳バットレス、
穂高岳などでのロッククライミング、
ヒマラヤでの体験などを共にしてきて、
ルートファインディングに対する
充分な判断力を冨美代さんは
養ってきたとの
仙人の錯覚にある。

つまり師である仙人は、
とんでもない錯覚を起こしていたのだ。
                            
自分では何も判断できない、
ただ人の後をついて登るしか能の無い
似非クライマーしか
育てられなかったことに、仙人は
気づいていなかったのだ。

明らかにこれは
仙人の完全なる敗北である。
3番目に≪迷ったら元に戻れ≫との
教えが全く生かされていなかったこと。 


陽の落ちる前に散水 




刻々と黄昏迫る!

訊いてみて唖然!
≪緑のテープが木に巻き付けてある所が
下山路入口だと思っていた≫とのこと。
確かに数年前に下山路入口に仙人は
緑の小さなテープを巻いておいたが、
それは稜線の東側、
つまり扇山から下る右方向に在るのだ。

反対側には森の所有者の
境界を示すかのような緑のテープが仰々しく、
何十本もの木に巻かれている。
誰がどう観たって異様な巻き方で、
案内標識でないことは明らか。
本人は間違いに気づき少し戻ったが、
≪きっとここを下ればいつもの
山荘の途へ出られると思っていた≫と云う。
山脈は南北に走り、その東側、
陽いずる方向に山荘は位置し、陽沈む側に山荘は無い。

にも拘わらず元の途に戻ろうとしなかったこと。
それにしても北に向かう稜線を歩きながら、
一体どこで山荘と反対西側の
下柚木の里に下る途を選んだのか?
 
森に陽が落ちる



捜索で再び山頂に立つが人影無し!
手前に付けられた
仙人の緑テープを観ずに、
この仰々しく幹全体に
巻かれたテープに引かれて下ったと云う。
東ルートから登って来て
稜線に出なければこの異様な、
ぐるぐる巻きの緑テープの森を
観ることは出来ない。

つまりこの緑テープの森が山荘と
反対側に在ることは
明明白白なる事実なのだ。
それすら認識せず、
そのテープに沿って反対側に
下ったと云う事に唖然。
これは最早仙人が
如何に想像力を逞しくしても
考えられないことであり、
唯ただ自らの想像力の欠如に
改めて愕然とするしかない!

更に些細なことを上げれば、
歩き慣れている仙人は
熊避けの笛を持ち、
吹き鳴らしながら歩いているのに
熊の恐ろしさを知っている筈の
本人は持参すらしてない。

携帯電話にしても
仙人は山行中は肌身離さずもっているが、
本人は
携帯電話も持たず無防備。

最後の陽が降り注ぐ(小倉山頂からの扇山稜線)




急速な闇が墜ちる

登攀中にカラビナ束を落とし、この先の登攀継続が危ぶまれ、
ミスは許されないと仙人に諭され以後、
胸に深く刻み込まれていたのでは。

いいや、そんな風にしか
育てられなかった仙人に問題がある。
当然の事ながら未熟仙人は、
未熟者しか育てられないのだと実感!
果たしてこれらは本人のちょっとした単純な過失なのか、
それとも老化現象も加わっているのか。

山では単純なミスが致命的になると
北岳バットレスでのロッククライミングで
冨美代さんは学んだ筈。

 
高芝山に架かるクロス


先ずは未だ出血の続いている
御凸の左に
止血と消毒にキズドライを
吹きかけ、濡れタオルで
血を拭き取る。

両肩の藍シャツの血痕が
生々しい滑落を物語る。
≪それではちょっとした
小さな冒険の記念写真を!≫
はい、パチリ!

無事帰還してみれば
日常生活ではしょっちゅうある
ほんの些細なミス。
目くじら立ててあーだ、こーだと
論じる程の事ではない。

しかしそのミスを冒してしまった
当人にとっては、
自らの現在位置を失うという
アイデンティティに関わる
問題だけに

他者の想像を遥かに超えた
混乱と恐怖が在ったに
違いない。
≪いったい此処は何処なのだ?≫
その手掛かりすら無い
混沌とした深い森に在って
知を頼りに生きて来た
知的存在は唯狼狽える以外の
術を持たない。

拭おうと幾ら試みても
拭い切れなかった仙人の
幼いころから連綿と連なる恐怖の
1つに混沌がある。

混沌を認識する自らを
認識しつつ自らの
座標を捉えることが出来ない。
0次元の点なのか、
Xだけで表される1次元の存在か、
(X,Y)の面としての
拡がりくらいはあるのか!

いや3次元の(X,Y,Z)に
加えて時間軸さえ在るのに
認識出来ないだけか!
いいや、混沌は
0次元ですら有り得ない。

混沌、それは
記憶のアイデンティティすら
生み出せない始原。
認識の始原への回帰が
知的存在を
0次元の彼方へ拉致する。



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