満月キューマ、≪春と修羅≫に使嗾される混沌仙人
その139の3ー2017年 水無月 |
小倉山から昇る満月と詠うカロス・キューマ 6月8日(木)晴 19時58分 月齢13,94 山荘居間から (えーと8日の月齢が13、1で9日が14,1なので8日の20時は13.94かな) 間引き大根と蕪の葉にコロリと魂を奪われてしまった仙人の舌。 いや葉だけでなく、未だ少年のペニスのような可愛らしい大根そのものの美味しさも半端ではない。 薄切りにした大根のきめ細やかな白い肌は、口に含んだ途端、味蕾に絡みつき徐々に緩やかに締め付け味蕾を絶頂に導く。 採れたてのレタスに、骨から切り取ったスペアリブ、生ハムを載せ、スライスした大根、春菊、人参、セロリを被せ、 最後に瑞々しい夏ほうれん草を載せてしっかりロールし、パクリ! で、ビアをグイッと呷ると、見上げた窓から飛び込んできた満月。 みるみるカロス・キューマに迫り合体し、 朗々と詠い出したのは、ベートーヴェンの交響曲第9番の第4楽章≪歓喜の歌≫An die Freude (アン・ディー・フロイデ)。 |
カロス・キューマに入り込む満月 ≪どうしてその野菜にあたしの名が入ってないの? 今年の玉葱は薹が立ち 硬くなって美味しくないとか云って、 ログハウスの軒下に放りっぱなしにして! 試食もせず無視するなんて酷い仕打ち。
硬いならそれなりに調理の仕方があるでしょ≫ なんて声が・・・。 |
耕せば耕す程、土が熟れて畑そのものが、
その歓びの声に乗ってやって来た採れたての生命を受け入れようと、歓びの歌を詠う。 大根、蕪、春菊、人参、ほうれん草の美味しさは、 如何ばかりか! 心を込めて畑を耕し続ける者だけが知る歓び。 と此処まで書いたら、ログハウスの軒下に下げてある、 収穫したばかりの玉葱が怒ること怒ること! |
さあお別れですよ |
花が咲き、薹立ちした玉葱 |
冬前に育ちすぎ花芽を着けて薹立ちした玉葱 |
そこで先ずは圧力釜で5分煮て、
先週作った ばら肉ポトフのスープに入れてみたら、 何じゃ、このまったり感は! |
婚期を過ぎた女を 薹が立つなんて陰口たたくが、 この玉葱も冬の寒さが来る前に 偶々育ちすぎて、 花芽を着けてしまっただけ。 |
薹立ちしてない玉葱を干す |
育ち過ぎてしまったか! |
夜明けの耕作に勤しむ混沌仙人 6月13日(火)晴 薹立ち玉葱とにらめっこ そりゃ花に養分を奪われてはいるが、
寧ろそれを自覚しているだけに、まろやかでコクのある味が一段と際立っているでは! そこで更に今度は圧力釜を使わず、普通の鍋で茄子と一緒に煮てみたが、真芯の硬さは残るものの味は云うことなし。 そうだった。 有機肥料をたっぷり施し繰り返し繰り返し、飽くことなく耕された山荘の畑で育った玉葱が、 例え薹が立ったとしても美味しくない筈がないよね。 |
新兵器スパイラルカッター |
見事な螺旋切に感嘆! 激しい肉体労働の後には なんたって、 よーく冷やした山荘ビアと野菜。 新じゃがを DNAの二重螺旋に切って 唐揚にして 塩胡椒をサッと降って、 ばら肉でどうだ! |
虎河豚と海老の塩焼きもビアにぴったり! |
全く雨が降らない。 やっとすべてのじゃが芋を収穫し、 耕運機を掛けたが、乾燥Maxで 石のような土塊ばかりが掘り起こされ 土作りが出来ない。 何度も繰り返し耕運機を掛けるが 土塊は土に還らず、 とても種を受け入れて発芽させる 大地の母としての風情は無し。 木乃伊のように干乾び、あばら骨が 浮き彫りになり大気を取り入れて 呼吸している様子も観られない。 |
たっぷり鶏糞を施し、 酸性化してしまった肌に石灰を散布。 「もう少し鶏糞や石灰、 大気を取り入れ、豊かになって 土の匂いを取り戻し、 綺麗になるんだよ」と声掛けする。 施肥後更に耕運機掛けを繰り返し、 汗びっしょりになって 土の奥まで深く掘り返す。 もう疲れ果てとても山トレどころではなく、 畝作りを明朝に回して 本日の肉体労働の終わりを宣言。 |
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沢庵漬の糠床を再利用して |
新兵器料理じゃ! |
究極の薹立ち玉葱料理への挑戦! 紅胡椒、檸檬、パセリ、薹玉葱のアンサンブル で直ぐに夜明けとなり、西畑,、林檎畑のじゃが芋収穫後の、乾燥畑の畝作り。 花が咲き薹が立っていたのでした。 でもその横からは瑞々しい若葉がツンツンと延びて、その香りの良い事! で、薹立ち玉葱に載せてやったら、どうですか美味しいだけでなく一幅の絵になるではありませんか! じーっと観ていると聴こえてきませんか、山荘野菜の≪歓喜の歌≫An die Freudeが! |
初めてのミニトマト収穫 |
大根、蕪もどっさり! |
茄子も次々 |
林檎畑東柵側の南瓜と モロッコの棚造りが終わってないので、 支柱への蔓誘導をしながら 棚を張る。 殆ど施肥してないし、森と接した 林檎畑東柵からは、 吸葛や藪枯らし等の蔓植物をはじめ、 多くの雑草が繁茂し 越境してくる。 |
春菊、クレソン、ほうれん草(左から) |
余程強い生命力がないと 此処では生き延びられない。 生命力の強い筈の南瓜、モロッコが 果たしてこの厳しい環境下で どこまで闘えるか! 初茄子が4つ生り、 プチトマトが青いながら実を着け、 嬉しいことに 諦めかけていた葡萄畑西柵側の ゴーヤーが殆ど発芽したでは! |
生り過ぎかな! |
胡瓜もグングン伸び始めたので 先週張ったネットに絡むよう 誘導テープを着ける。 しかし5回目以上になるポット播種の 唐黍、人参、オクラ、ゴーヤーが 1カ月以上も沈黙を続けたままで、 さっぱり発芽の気配を見せない。 |
待ってましたピーマン |
いいね茄子の紫 |
ワインセラーの松葉菊 今朝、たっぷり散水してみたが 最早復活せず。 悔しいな、山荘に留まり 朝晩水遣りを欠かさなければ救えたのに! でもこの雨量の少なさ 日照時間の長さが美味しい 桃や葡萄を産み出しているのだから、 致し方ない。 |
綺麗だねピーマンの花! |
南瓜の雌蕊でーす |
散水も絶やさないし、 先週までは保温、保湿の透明ビニールで マルチをしていたし、 幾ら考えても 未発芽の原因が思い当たらない。 悔しい!ほんとーに悔しいのだ。 莫迦になりきって平然と、 同じ未発芽ポットに播種すべきか、 土をそっくり変えてみるか! |
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自動散水のお陰で 葡萄畑と西畑中央の散水部の 野菜たちは、生き生きとしていたが、 気になっていた 葡萄畑東柵側、西柵側に 移植したゴーヤーは 8本とも死んでしまった。 西畑の青紫蘇(大葉)も 25本の内生き残ったのは僅か10本で あとは水分不足で枯れてしまった。 |
キウイも実をつけます |
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じゃが芋の花でーす |
クレソン花も可憐! |
恩田陸
夜明けの光を待ちわびて一斉に開く松葉菊 6月20日(火)晴 屋根上のガニメデを見上げる松葉菊 ≪一瞬の風になれ3≫、又吉の最新作≪劇場≫を放り出して恩田陸の≪蜜蜂と遠雷≫に憑りつかれている。 冨田勲の「イーハトーヴ交響曲」とは異なる宮沢賢治の架空の委嘱作品(菱沼忠明「春と修羅」)を2次予選の課題曲とし、 4人のコンテスタントの演奏を実に鮮やかに描き出すと云う、離れ業をやってのけるのである。 宮沢賢治を読みこなし、クラシックの巨人達の真髄に迫らないと描けないのは云うまでもないが、 それ以前に音を言語に置き変える優れた能力が要求される。 12年の構想と7年間の執筆時間を費やして書き上げたこの作品は、おそらく恩田陸の最高傑作になるであろう。 以前から注目し「夜のピクニック(2004年)」から読み続けてきた恩田陸だが、 「EPITAPH 東京(2015年)」あたりからはさっぱり面白くなくガックリしていただけに、とても嬉しい。 |
薊の蜜を貪るカナブン ≪デビュー以前はピアノを買う金がなく、 本郷から日暮里にかけて街を歩いていて ピアノの音が聞こえると、 そこへ出向いてピアノを弾かせてもらっていたという≫ (wikipedia) 既に「蜜蜂と遠雷」を読んだ愛読家なら、 おや、これは主人公の風間塵のことではないか! と思ってしまうが、 実はこの人こそ、誰あろう武満徹ご本人なのだ。 |
このホームページに繰り返し繰り返し登場する 宮沢賢治の≪春と修羅≫ 知が抱える生命と宇宙の永遠の業を記したこの作品を 音に置き換えたいと願う音楽家は数多居るが、 未だに実現されていない。 僅かな天才音楽家のみに許された 壮大な試み。 その一人が現代音楽家の武満徹であると 仙人は信じていたが、 実現されることなく円熟期の65歳、癌で死んだ。 |
カナブンに無視された松葉菊 |
仙人ブランド登場 |
恩田陸が風間塵に 武満徹を重ねたことは想像に 難くないが、 更にこの風間塵には、 第15回チャイコフスキー・ コンクールで4位入賞し旋風を巻き起こした 仏ピアニストのルカ・ドゥバルグも 重ねているらしいのだ。 「ジャズを演奏し生計をたてながら 10代の大半はほぼ“独学”で学んでおり コンクールを受けた時点で 自分のピアノは持っていなかったという。 第1次審査からファイナルまで、 豊かな感性と強烈な個性に 彩られた独創的な演奏を披露したルカは、 耳のこえた芸術大国ロシアの聴衆から 熱狂的な支持を得た。 その型破りの才能の噂は たちまち世界中に広まった」 (2016年01月15日 (金) 19:50 ろーちけHMV-クラシックより) |
230度低温釉薬入手し試作 |
この2名を合体させたのが 「蜜蜂と遠雷」の主人公、 風間塵とあっては、もう面白く 無い筈は無く、 何を差し置いても読むしかないのだ。 それだけではない。 その武満徹を菱沼忠明として 生き返らせ≪春と修羅≫を作曲させ 芳ケ江国際ピアノコンクール 第二次予選の委嘱課題曲として 風間塵に演奏させるのである。 とまあ、いつものように仙人は 先走って書いてしまったが、 作者の恩田陸が実際にどの資料から 風間塵を生み出したかは 定かではない。 ≪春と修羅≫の部分だけでも 取り上げて |
大物壺も決まったね! |
仙人だけの独善と偏見、無知に満ちた 書評擬きを記そうと 読み始めたが、甘かったぜ! 1ページ目の「テーマ」から 恩田陸め、勝負を賭けて来やがった。 まるで幼い頃の仙人を 天空から観ていたかの如く、 仙人の心象風景に立ち入り描写する。 勿論、風間塵の様な才能は 全く欠如してるので、 嘗て養蜂もしていた混沌仙人ではあるが、 「明るい野山を群れ飛ぶ無数の蜜蜂が、 世界を祝福する 音符であると」感じることはない。 が、書きたくても書けなかった 仙人の幼少期の想いが こうも簡単にさらっと述べられていては このページ、 飛ばすに飛ばせないでは!。 |
型焼作品にもピッタリ |
「いつの記憶なのかは分からない。 けれど、それがまだ歩き出した ばかりの、ほんの幼い頃で あることは確かだ。 光が降り注いでいた。 遠い遥かな高みの一点から、 冷徹に、それでいて惜しみなく平等に 降り注ぐ気高い光が。 世界は明るく、どこまでも広がっていて 常に揺れ動きうつろいやすく、 神々しくも恐ろしい場所だと感じた。 かすかに甘い香りがした。 自然界特有の、むっとする青臭さと、 何かを燻すきな臭さが足元や 背後から漂ってくるのに、 やはりその中に 見逃すことのできない甘くかぐわしい 香りが混じっていた」 |
赤釉薬はムラが出来てしまうな |
階段アーチの蔓薔薇が山をいざなう 「風が吹いていた。 さわさわと、柔らかく涼しげな音が身体を包む。 それが木々の梢で葉がすれ合う音だということは 未だ知らなかった。 しかし、それだけではなかった。 濃密でいきいきした、大小さまざまなたくさんの何かが、 刻一刻と移り変わっていく辺りの 空気に満ち満ちていた。 それをなんと形容すればいいのだろう。 まだろくに親を呼ぶこともできなかったのに、 既にそれを言い表すものを 探していたような気がする」 |
やっと歩むことを知った仙人は、母の胸から離れ もう1つの世界を認識し始める。 見上げる2つの乳房の間から 垣間見えていた気高い光に代わって、 「揺れ動きうつろいやすく、神々しくも恐ろしい場所」 が現われる。 しかしかすかに母の甘い香りは感じられる。 |
薔薇アーチが世界を包み込む |
母の乳房だけが 世界の総てであった仙人は 葉の擦れ合う 風の音を初めて知る。 風に混じって流れて来る 甘い香りが 薔薇の発する誘いであると 知るには、 未だ仙人は幼すぎる。 |
すっぽり包むアンネ薔薇 |
けれども確かに 薔薇はそこに存在している。 その香りの囁きに 「じっと聴き入っていると、 自分の存在そのものが すっぽりと包まれているような 気がして、 心が凪いでくるのを感じた」 |
春と修羅 恩田陸 ごく静かに、風間塵の「春と修羅」は始まった。 まるで、前の曲、「ミクロコスモス」の続きのような、さりげない幕開け。 曲も、至ってシンプルに展開される。日常生活。いつもの散歩道。窓を開け、一日が始まる。 自然。人々の営みを包む、宇宙の理。当たり前にそこにあり、生活を満たしているもの。 ここまでの解釈は譜面通り。素直なアプローチ、 ・・・・・ しかし、そのイメージは、カデンツァに突入したとたん、一瞬にして打ち砕かれた。客席が、凍りついた。 風間塵の紡ぎ出したカデンツァは、すこぶる不条理なまでに残虐で、凶暴性を帯びていたのである。 聴いているのがつらい、胸に突き刺さる、おぞましく耳障りなトレモロ。 執拗な低音部での和音。甲高い悲鳴、低い地響き、荒れ狂う風。敵意を剥き出しにした、抗う術もない脅威。 これまでの、楽しげで、ナチュラルで、天衣無縫な演奏とは似ても似つかない、暴力的なカデンツァ。 明石は、ゾッとしてほとんど呼吸を止めていたことに気付いた。 「修羅」なのだ。 明石は、自分の甘さを思い知らされたような気がした。風間塵は、「修羅」をカデンツァで示した。 自然は優しく人間を包んでくれているだけではない。 むしろ、古来より人間を打ちのめし、常に絶滅の一歩手前まで人類を追い込んできたのだ。 ・・・・・ 風間塵はその「修羅」を示したのだ。 |
≪春と修羅≫の仙人日記記載頁
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