2181ー2024年 睦月

壊滅のシナリオの幕開けか
1月1日(日)晴 2024年のプロローグに蒼龍が虚しく吼える


今後30年間で発生率75%の南海トラフ巨大地震、70%の首都直下地震、30年周期で噴火してきたが
現在300年以上沈黙を続ける噴火確率100%の富士山噴火と、
日本列島を産んだ大地の揺らぎは、
生から死へと日本列島を壊滅に導くシナリオを進行させている。

市民革命によって産み出された近代民主主義の揺らぎは、人類を壊滅に導くシナリオを進行させている。
哀しいが市民革命の《知》は為す術無く狼狽える。
2024年の幕開けは、カタストロフィであるかの如き大地の揺らぎと、それに伴う街崩壊&焼失、
更に新潟への救援物資を積んだ飛行機さえも炎上させる、大波乱であった。

幕開け2024の大地の揺らぎは、ただ単に大地の破壊だけでなく、
市民が勝ち取り築き上げた民主主義をも壊滅へと導く示唆を含んでいるのではと、懼れ慄く仙人。







壁に囲まれ逃げることのできないガザ市民に、
ミサイルを撃ち込み皆殺しを厭わぬ
イスラエルの虐殺も続き、
トランプはガザのアラブ人を見殺しにする。

プーチンがウクライナからEUへ、
習近平が台湾から日本へと侵略を明確にし、
虐殺をほのめかし、ほくそ笑む。
ハルマゲドン開始2024にならぬことを願うが、
願う神は居ない。

そんなら仙人が神になっちまえと、
カンラカラカラと引き攣った嗤いを漏らす仙人。
仙人を乗せたカロートの蒼龍が雷鳴を轟かせ、
虚しい雄叫びを上げる。
1月1日プーチンはモスクワの病院で負傷兵を見舞いこう述べた。
《ウクライナ自身は我々の敵ではない。
国家としてのロシアを消滅させることを望む

西側こそ敵なのだ》 

ウクライナ反抗作戦を不発に終わらせたプーチンは
目前にせまる3月に確実に再選され、
虐殺者プーチンの名を人類史に刻み続ける。

11月トランプ大統領復活による民主主義の崩壊。
トランプ指示によるウクライナ支援の中止、
韓国、日本からの米軍撤退による
台湾、日本孤立。
軍事支援を失った両国への中国軍の侵略作戦開始。

 



津波に襲われる
 2024年元旦

石川県能登地方1日16時10分、
最大震度7を観測し、
石川県では、2日午後3時半現在で
死者が48人
に上った。

多数のけが人、16人が重傷。
約350カ所の避難所に
約2万8千人が避難

 
道路陥没、亀裂に落ちる車

輪島市の7階ビル倒壊
 
鹿磯漁港では約4m超の隆起
 
1階部分は壊滅
 
余震が続き更に倒壊

石川県で最大震度7を観測した
能登半島地震は10日、
発生から10日目を迎えた。
午後2時時点の死者は206人。
新たに輪島市と能登町で
各2人の死亡が確認された。

災害関連死は新たに能登町で
2人が確認され、計8人となった。
連絡の取れない
安否不明者は52人になった。


瓦礫の下に安否不明者が!


 
379人搭乗のJAL516便炎上
2024年 1月2日

1月2日17時47分ごろ、
羽田34R滑走路(C滑走路)に
JAL516便が着陸した直後、
海保みずなぎ1号に接触し
炎が上がり、そのまま
煙と炎を上げながら滑走。

JAL516便には乗客367人と
乗員12人の合わせて379人が
搭乗
していたが、
乗客14人が負傷し、
うち4名は救急搬送された
ものの全員が脱出した


みずなぎ1号には6人が
搭乗しており5人が死亡
機長は自力で脱出したが重篤。

着陸した日本航空516便が
海上保安庁の
みずなぎ1号と滑走路上で衝突し、
両機が炎上した。

事故機のJA722A
「みずなぎ1号」は、
事故前24時間において、
前日に発生した
令和6年能登半島地震の
対応のため2回飛行


事故時は能登半島地震被災地
向けの物資

中継場所となる新潟航空基地へ
搬送する途上であった。 
 
海保みずなぎ1号は能登地震被災地へこの日3回目の救援物資輸送中



輪島市朝市場200棟焼失  
   
輪島伝統の街並み襲う火柱
 
1日19時09分輪島市朝市場
地震後に火災発生

 震度6強の揺れを観測した、
輪島市の中心部にある
河井町では1日夕方、
観光名所として知られる
「朝市通り」周辺で火事があり、
消防によりますとこれまでに
およそ200棟が焼けた。

古い木造の街・輪島市朝市場全焼 



西蔵の骨董屋で見つけた損壊蒼龍の甦生
12月16日(土)晴 コンクリートを詰めて修復した蒼龍


11月の梓、陽介君の画像では損壊し息絶え絶えの龍であったが、その後の仙人の必死の甦生術で蒼龍となり復活!
自由に浮揚出来るように、気になっていた龍の足場も取り除き、腐食した青銅の蒼も深遠な宇宙の蒼に変えた。
さあ甦生した龍よ!、瀧の水と共に流れ落ちる仙人の遺骨粉を背に受けて、池に潜り竹森川に泳ぎ出て、
更に富士川、駿河湾、太平洋に至り、ヒマラヤ氷河の融水を湛えたベンガル湾と合体しそこから天空に昇るといい!

仙人の遺骨粉を背負わせ山荘からベンガル湾へと三途の川を渡らせ、
そこから銀河への昇天を願っても 果たして肝心の蒼龍はOKしたのかい!
神龍なら仙人の夢を叶えられるが、蒼龍は真っ赤なドラゴンボールを1つしか持ってないぜ!
あと6個集めないと神龍には逢えないけれど、 若しかすると隊員墓標に刻まれた8隊員の碑銘を辿れば、
シェンロンへの途が拓かれ、 仙人は銀河への昇天が実現するかも知れない!
修とも逢えるかも!

と、相変わらず仙人の希望的観測は甘いのである。


山荘発7時47分→
三つ峠登山口発8時50分→
毛無山中川碑10時05分着
→三つ峠山11時26分→
登山口12時28分→
山荘着13時26分
 
計:2時間36分
 

清八林道に入り
峠茶屋の分岐を右に折れ、
三つ峠登山口を進み
暫くすると
狭い林道の左右に
車の停車が
目立つようになる。

此処から登山口までは
かなりあるので
登山者の車にしては
おかしい。

奥に進むにつれて
駐車台数は増え
2,30台になり、
こりゃ登山口周辺の
駐車場は大混雑で
全く駐車スペースは
無いのかなと、
ゆっくり車を流して登り続ける。

前を走る車が
横滑りをして初めて
気付いたが、路面は
完全なアイスバーンと
なっている。

昨夜の小雪が
路面を覆っているので、
その下の黒く凍てついた
氷が観えないのだ。
 
毛無山の中川碑に詣でる2024年元旦
ブレーキを掛けて
止まったが、車は
そのままズルズル
後退し始めヤバイと即、
ニューラルに
切り替え4駆にチェンジ!

後退は直ぐに止まり
後続車への衝突は
免れるが、徒歩で
下ってきた3人の登山者は、
車の暴走を懼れ
道路から森側へ飛び込む。

安全を期して4駆を
更に4駆Lに切り替えると、
アイスバーンなど
無かったかのように、
スイスイと登り始める。

多くの車は
スタッドレスタイヤを
履いていても、この
アイスバーンには
手も足も出ず、
致し方なく登山口の遥か
手前で駐車せざるを
得なかったのだ。

登山口の駐車スペースは
精々20台程しかないので、
既に満車。
登山口から更に凹凸の
酷い登山道を少し登った
森に車を止める。

登山口まで登れた車は
4駆だけで、改めて
4駆の威力に感心!
 

山荘の隊員墓標に刻まれた八隊員を偲ぶ
1月1日(月)晴 三つ峠山の山巓で雪富士と対峙する仙人


ブータン未踏峰の遠征直前自主トレーニングで滑落死した中川雅邦隊員を除いた7隊員は総て
《人食い山》と恐れられたナンガパバット峰の遠征隊員であった。
中島修隊員はディアミール壁で墜落し宙吊りになりながら、ナンガパバット峰登頂を諦めず、
3年後の1990年、更に困難な南西稜からの遠征にも参加し、山頂直下で墜落死した。

《俺が求めていたのは、高々80年のちっぽけな人間の生命では無かったんだ。
一瞬の中にしか存在しない永遠の生命だったんだ。
行け、その一瞬は今だ》
(Nanga Parbat 南西稜 1990年 川崎市教員登山隊報告書 P37ギルガメッシュの死)


ナンガパバット峰南側のルパール壁は標高差4800 mと世界最大の標高差を誇り、また屈指の登攀難壁である(初登攀はラインホルト・メスナーとギュンター・メスナー)。
西側の
ディアミール壁困難な壁である。南西稜は「マゼノリッジ」と呼ばれ、13 kmの間に7000 m峰を6つ、6000 m峰を2つ含むヒマラヤでも最大級の稜線となっている。
ヘルマン・ブールが1953年7月3日に初登頂するまでにドイツ隊が何度も挑み、多くの遭難者を出したことから
「人喰い山」と恐れられた。
(wikipedia)



   
   
 


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