191の2ー2021年 神無月
帰って来た酔っ払い・硬膜外ブロック・ヤク漬け仙人 10月11日(月)快晴 ゆぴてる峰 4月26日以降5か月16日ぶり 11:15山荘発→稜線12:00→ゆぴてる峰12:15→仙人山12:25着、発12:50→山荘着13:35 光の海を見つめて、眼が泳いでいる。 八の字の眉毛と頭髪が光を浴びて一部、雪の様に白く浮かび上がり、浮腫んだ顔が虚ろに笑む。 強い5種類もの鎮痛剤ヤク漬で浮腫んだのか、5か月16日間もの運動不足で単に太っただけなのか! ゆぴてるの峰の頂標の割れ目が、5か月16日間の不在を示すが如く、僅かに広がっている様な気がする。 【ぴ】の左側から【9】の中央を経て、くの字に走る亀裂が、失われた時空に仙人を引き込む。 |
右脚の痛みをヤクで殺したぜ! 木漏れ日の光の矢を 大地に無数に突き刺し、 落葉樹の森が生命を謳う。 もうすぐ寒さに枯れ落ちて、大地に還る 葉の歓びと哀しみが、 切々と森を震わせる。 |
こんなにも森は待っていたんだ! 深い森に身を浸した刹那に、 犇々と押し寄せ、柔らかく肉体を包み込む森の息吹。 小さな谷をはさんで右側の常緑樹の昏い森が、 頭上に西高東低の碧空を広げ 左側の落葉樹の森に光を注ぐ。 |
再び森に還った仙人 |
瀧下で土台作り |
場所は仙人と隊員墓標の打たれた 瀧を浴びる大岩の瀧下がいい。 嘗て芝桜の咲き乱れた花壇に 穴を掘ってみると、 瀧下の疎水から溢れる水を導く プラスチック雨樋が破れ、 花壇の地中に 水の流れが出来ている。 漏水部分の補修をするには 幾つもの大きな岩を 移動せねばならず、クレーン車が 無ければ出来ない。 そこで漏水はそのままにして 花壇地下に2つの小さな導水路を作り、 底に金属フレームを入れ その上にブロックを3個載せ、 周りを6個のブロックで囲む。 6個のブロックの上に花壇石6個を載せ、 唐櫃(カロート)のコンクリ打ち。 ブロック9個、カラー平板ブラウン8枚で 唐櫃の基礎造成。 |
ブロックの上に花壇石を積み |
奥庭に石材が集積 |
カロートの土台にセメントを |
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昔、焼き上げた未熟な 骨壺6個の内3個をカロートに、 残り3個を カロート上部の平板に載せてみた。 ブロックの上に積んだ6個の 花壇石の水平を確かめるため、 長方形カロートの大きさに 合わせた合板を花壇石上端に載せ ガックリ! どう見ても水平に観えていたのだが、 左側と奥の2辺が落ち込んでおり、 その隙間、最大で2cm。 これじゃ幾ら眼は誤魔化せても、 余りにも酷すぎる。 そこで隙間に小石を入れ、 花壇石との間に セメントを流し込んで固定してみた。 水平は保たれたが、見るからに無様。 うーん、気に食わない。 それに合板なんかを被せても その上に積み上げる平板は、 全く防水効果は期待できない。 更に合板と平板の間に残る雨水が 合板の腐食を早め、おそらく 4,5年で交換を余儀なくされる。 |
此処に骨壺収納 |
平板の水平を保つ為に 使用する部材はアルミ材に限る。 ならば破棄した 網戸サッシを使えばいいでは! 早速、轆轤室の網戸収納場所に 飛んで行って、廃棄網戸を物色。 イオテラス、仙人テラス、 森テラスを増築した時、サイズの 異なる数種類の網戸サッシが 出番を待っているのだ。 ちょっと長いが出窓横の細いサッシなら 横82、縦60、深さ40cmの カロートに載せて、余り部分を 洒落なデザインに出来るのでは! ワクワクしながら網戸を載せて、 またまたガックリ! 花壇石に載せたサッシの厚さが 当然ながら平板を押上げ、隙間ができ サッシに載せた平板が 不安定になり、前後に傾き不適格。 勿論やや不細工なのを我慢すれば、 機能的には問題ない。 |
仙人の焼いた自らの骨壺 |
しかしカロートは数十年もの時を経て、墓参りに訪れる人の眼に触れることになる。 悔しいが網戸採用は断念するしかない。 さて困った。次なる案は中央の2枚の平板をボルトで固定し、 60cmの平板に作り変える方法。 金属の平板をブロック構造の30cmカラー平板にボルト固定すれば、 折れない60cm平板が出来るはず。 |
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あちこち探し金属平板を見つけ出し、 コンクリートドリルで双方に穴をあけ、 鉛の楔(プラグ)を 石に打ち込みビスで固定。 あれっ、プラグよりビスの方が長くて、 ビスが途中までしか閉まらない。 うーん、こりゃ参った! 孔をもっと深くして石板を 突き抜けてしまえば 当然ビスは通るが、 肝心の鉛プラグがビスに押されて 石板の下に出てしまう。 |
仙人と8隊員の墓標模索 |
プラグは捻じ込まれることによって 孔に広がり固定されるが、 孔よりやや小さく出来ているので 下まで孔が通っていると、 そのまま外に追い出されてしまう。 となると薄い金属平板ではなくて 1cm程の厚みのある フレームを探すしかない。 コの字型のフレームならベスト。 さてそんなもんが山荘にあるか、 または市販されているか? |
作陶場の資材置き場を覗いたり、倉庫を漁ったり 農具置き場を点検したり。あった! 長さ1mもある特大額縁のフレームを切断すれば使えるのでは? 勿体ないが思い切ってサイズを合わせてカット。 2つで重さ10kgを越える30cm石板が見事に60cm石板に 生まれ変ったではないか! これで実にすんなりカロートの蓋が仕上がり、ブロックを黒く塗り蓋に載せ、 デザイン性を考慮し、茶の石板の一部を黒でアクセントをつけたり。 |
これでは単純かな! |
隊員墓標に語りかける龍 2021年10月20日(水)快晴 作成日付2020年10月20日 アイスバイルを交差させ、螺子式アイスピトンを同じくクロスさせたセメントの塊が、どうも何やらブツブツ。 翻訳すると顔が欲しいらしい。 そういえばムンクの《叫び》がセメントの塊から湧き起っているような! そこで早速白ガムテープをヨーグルトキャプに貼り付け 唇、眼,鼻を切り抜き、黒く塗りつぶしたセメントの塊に貼り付けてみた。 全然《叫び》に似てないが、横から観ると1年前に出会った小鹿のキキの面影あり。 奥庭を照らしていたイオテラスの照明をカロートに当てるため照明灯の位置を替え、 更にクリップライトと配線コードを引きカロート内部の照明を付ける。 |
この下に唐櫃を造るんだって! 明朝、セメントが固まったら 滝の水を出して奥庭に水が浸みださなければOK! 序にカロート上の両サイドの アクセントが単調なので、前から 黒ラインを入れてみたらどうかと思案。 駄目もとで2本入れてみたら見事失敗! まっ、短気を起こさず 暫くこのままにして眺めつつ、 最終的にどうするか考えよう。 |
七変化灯が届いたので カロート内部にタップを接続し、 カロートの屋根上にも照明が点けられるよう配線。 昨日導水ホースを通した排水溝の隙間に コンクリートを流し込み、 小石で覆い排水溝からの漏水が 防げないか実験。 漏水が防げないと解ったら、 またⅠからやり直せばいいや、くらいの気持ちで やらないと納得できるものは仕上がらない。 |
ボン・シルバーと龍が墓守だって! |
愛用したピッケルを固定 |
唐櫃 手伝ってほしいことがある、 カロートって知ってる? 聞いたことがない言葉だ。 漢字では唐に米櫃の櫃と書いて唐櫃、 石棺の骨壺を 収納する場所のことらしい。 仙人墓の本格的な仕上げ ということなのだろうか。 |
骨壺室の上を石板で覆う |
滝の下に本格的な墓石が設えられ、 仙人の焼いた壺が飾られている。 自らの墓までも 納得いくものに創り上げるのは さすが仙人。 どこかユーモラスな墓石が 仙人のいたずら心も表しているようで、 墓だと言われても 手伝うのはなんだか楽しい。 |
2つの石板を繫げ蓋にして |
若くして山で逝ってしまった 仙人の嘗ての山仲間の墓標も、 仙人自らが焼き上げて 滝上の大岩に設置されている。 仙人自身の遺骨が この唐櫃の中に納まる日も そう遠くは無いのかもしれない。 いつか必ず来るその日の為に、 自身の眠る場所を 拵えるという発想は私には無い。 |
セメントでの接着が可能か! 石板、ピッケルを先ず固定 |
どこかの墓の中に収められる 自分は想像が出来ない。 残された者たちに託さざるを 得ないのは承知だが、 できることなら遺灰を 自然の中に散骨してほしい。 仙人にとっては、山荘と その周りの自然こそが自分自身 そのもののような魂を 込めた場所なのだろう。 其処に埋葬され、 小さく砕かれた白い骨の欠片が、 長い長い旅の果てに大海へと 溶け込むことがきっと イメージの中にしっかりと 組み込まれているのだろう。 登り続けてきた人の死後の イメージなのだろうか。 死もまた新たな旅立ち とでもいうような・・・ 翻って自分にとっての死のイメージは 全てからの解放かな。 生が完結したら、 一刻も早く空へと還りたい。 光や風や雲や星たちと同化して、 一番好きな空へと還る。 だから墓はいらない。 ビッグツリーの幹上で朝一番の 光を浴びて、 夜には月光に晒されて 空を目指すピッケル、 誰も知らないけど、 それが私の墓標であればいい。 |
廃棄炉の石で位置を固定し上から セメントを流す |
失敗作品の皿の展示岩に浮かぶ森77メッセージ 2021年10月20日(水)快晴 山荘の森 そうだったのか!77年目の誕生日に合わせて仙人は、唐櫃の制作を始めたのか! 誕生日登山 驚くほどに爽やかに晴れ上がった秋の一日。 日中は晴れるとの天気予報であったが、朝からの快晴に思わずやったー!と叫びたくなる。 日が昇る直前、柔らかな薔薇色の雲に包まれ、富士山が内部から発光しているかのような得も言われぬ美しさで淡い桃色に輝く。 昨日の雨が富士山では雪になり山頂ばかりでなく見える限りを覆いつくし、夜明けの光が純白の富士を桃色に染め上げたのだろう。 特別に優しく美しい富士の一瞬の姿だった。朝食時には燦燦と降り注ぐ太陽の光を浴び、それが心地よい。 ついこの前までは、太陽が出れば暑すぎて大きなピーチパラソルが必要だったのに、季節の巡る速さを感じる。 仙人テラスからは太陽の子分のように赤々と色着いた柿の実がよく見える。 あっという間に吊るし柿のシーズンだ。最高の天気に祝福されて、仙人は77回目の誕生日の朝を迎えた。 |
ワインがクリスタルになった! 森の香りに包まれて山の斜面を踏みしめて 歩くのはなんて素敵なんだろう。 慎重に一歩を踏みしめながら《登る》という感覚を味わう。 登山とは一定程度の斜度のある地面を 自らの脚のみで一歩ずつ歩を進める行為。 例えそれが千mに満たない里山であろうと、 8千mのヒマラヤの鋭鋒であろうと、基本的には同じだ。 もちろんヒマラヤの高峰ではほとんどが 岩と氷の世界であり、里山のように 単純に足を踏み出せばいいわけではないが、 |
仙人はきっと夜明けの太陽と共に この世界に産まれたのだろう、 それとも暗闇に向かう夜に? どちらにしても仙人は山巓の光を求めずに いられないのだ・・と勝手な想像をしてみる。 誕生祝に、仙人山へ行こう! という訳で、朝食を終えると早速、山へと向かう。 足の痛みでずっと中止していた山歩きを 仙人は既に再開はしている。 山荘に来る機会があっても ずっと山へ行けなかった私にとっては、 8か月ぶりの登山再開だ。 それこそ登れるのかなと、少し不安なのだ。 久しぶりに開けられた裏山への森の扉。 ゆっくりした足取りで登る仙人。 |
山荘キウイが77に変身したぜ! |
基本的には自らの脚を頼りに確実に 一歩を踏みしめることが 出来なければ どんな山も登れない。 仙人の脚も私の脚も、 今はかなり頼りない。 だからこそ、登ることの素晴らしさ、 地面を踏みしめる感触の豊かさ がしみじみと伝わるのだ。 10月の半ばを過ぎても今年の森は |
2つの頂光に歓ぶ仙人 |
まだほとんど紅葉していないが、 紅葉直前の明るい緑が、 新緑の鮮やかさに負けない 澄んだ華やぎを森に醸し出している。 光に透けて本当に美しい。 こうして自然の森の中をただ無心に 歩けることは 何にも増して幸福な時間だと、 心の中が歓びに満たされる。 |
復活の扇山で! |
初めて観る頂レストラン! |
1日で3つ目の頂へ! |
もう少し経つと一面の落ち葉に覆われ、 斜面は滑りやすくなるのだが、 今の時期は歩きやすい。 思ったほど息が上がることもなく、 嬉しい気持ちに引っ張られるように ぐんぐん登れる。 ゆぴてる峰に到着、それだけでも 何だか嬉しさが零れそう。 あと少し、斜度の増す登りを 進むと、仙人山だ! |
甦り、仙人頂に立つ! |
懐かしい気持ちと ついこの間来たばかりの ような気持ちが複雑に入り混じる。 ああ、山の時間だと不意に思う。 時間の繋がり方が 日常とはちょっと違うのだ。 写真では見たが実際に目にした 仙人山の山頂風景は全然違和感もなく、 もともとがそうだったかのように あっさりと記憶を塗り替えた。 |
漆黒の池から湧きいずる光 2021年10月20日(水)快晴 山荘池に光の贈物 並んだ切り株には大皿が置かれ、貝殻の皿が並べられている。 皿には木の実のごちそうの残り、 きっと十五夜の晩には森の住人たちが、大はしゃぎしてお月見をしたことだろう。 本日は仙人の77歳のお誕生日だよ! と知らせておいたから、森の住人たちは今夜もきっと宴を開いて、仙人おめでとう! の大合唱をしてくれるんだろうな。 仙人が山に還ってきたんだもの、そりゃあみんな喜ぶさ、仙人山の標識が笑ってる。 我々も美味しい日本酒でも掲げて、宴に加わりたいところだけど、でも無理無理。 だって仙人はね、暗くなるとあっという間に寝てしまうんだよ。 |
さあ、出来はどうか! |
1株から紅悠4つ! |
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それじゃあ夢の中でお祝いだね、 ヒャヒャヒャと風に乗って 動物たちの笑い声が 流れてきたのを潮時に、下山を開始。 歩くほどに足が 軽くなったような気分で、 迷うことなくそのまま扇山へと進む。 |
森の光を浴びて! |
扇山の急登も心なしか 登りやすいような気がするほど。 二つ目の山頂を踏みしめると感慨深い。 下山はさすがにゆっくりになったが、 無事に山荘に戻ってきた。 こんなに良い天気だし、 小倉山にも行こう。 |
叫んでないな! |
すっかり張り切った仙人に、 少し驚きながらも嬉しくなり、 午後の再登山へ。 麓まではバイクを使い時間を節約。 座禅草の木道を巡り、 3つ目の山頂を目指して歩く。 仙人山、扇山とは また雰囲気の異なる 小倉山への登山道。 稜線へ出る直前に振り返れば、 さっき登った仙人山が見える。 頑張ってるね!とエールを 送ってくれているかのようだ。 |
夜のカロート! |
山荘森に流れる光の音符!
2021年10月20日(水)快晴 森テラスから鑑賞
小倉山の山頂の四阿に上がり山荘を眼下に眺める。
あそこを起点に一日に三つの山頂を踏んだのだ。
ずっと山へ登れない日々が続いたのに、何と贅沢な一日だろうか。
その気になれば、こんなにも軽々と三つの山が登れるなんて、山荘だから叶えられた至福の時間だ。
ともあれ77歳の誕生日に大好きな三つの山が登れた仙人に、心からおめでとうございます。
小倉山の稜線で 仙人からの風変わりな問いかけ。 〈夢を見るとき、 一度目が覚めてしまっても 続きの夢を見ることはある? それとも独立した夢かな?〉 仙人は最近途中で目覚めても、 また見る夢は続きというか、 同じテーマの夢なのだそうだ。 確かにそういう夢を 見ることもあるが、 最近増えたということは 自覚していない。 というよりは、見たはずの夢 を目が覚めてから 思い出そうとしても、蜃気楼のように 掴みどころもなく 消えてしまうのだ。 |
登れないはずの未踏峰を 二つも登れたんだって! |
何だか悲しい夢だったとか、 疲れたなあとか そんな印象が残っていても その内容は言葉に出来ず もどかしいばかり。 アッ、でも今朝の夢は違った。 くっきりと想い出した。 登れないはずの未踏峰を 二つも登れたのだから、 目覚めた後も、 わー凄いとの満足感さえある。 赤い靴を履いた女の子と、 7色に変化する不思議な瞳の 男の子がザイルを引っ張って 先導してくれるのだ。 |
これはきっと森の狸や狐の仕業だ! 2021年10月20日(水)快晴 仙人山のてっぺん 小さな子供たちは楽しそうで、私のことなど忘れているかのように笑いさざめき、小鳥のように唄ったり喋ったりと賑やかだ。 一生懸命彼らを追いかけ登り続けたら、いきなり光の只中の山巓に飛び出した。 子どもたちは、はしゃぎながら<まだまだだよ>と笑い声を上げて走る。 見えない姿を追いかけて雪の中を息せき切って進むと、もう一つの高い山の頂が待っていた。 どこの山なんだろう、地球上の山なのかしらと不思議なのだが、未踏峰なんだということだけは確信しているのだ。 あの子たちはいったい誰だったんだろう。 <実は今日は幻の未踏峰も加えて、5つもの頂を巡ったことになるんだ>と今朝の夢の話をしてみようか。 こんなにも鮮やかに思い出せる夢は、実に珍しいので夢なのか現実なのか、却って混沌としてしまう… なんて仙人に話そうものなら、耳聡い森の妖精に 「ヤア、オマエも遂に混沌仙人、いや耄碌仙人(失礼な)の仲間入りだな」と笑われてしまいそうだ。 |