1771ー2020年  葉月


不作なのに態々届けてくれた桃が彼方此方に!
目白にも1箱送り、冷蔵庫に入りきらず桃に占領される山荘




森からの招待

東京に梅雨明け宣言が出た晩、久しぶりの月がぽっかりと空に浮かぶ。

嬉しくなって、ベランダに出て見上げると、不意に月光が夜空に文字を記す。

< 招待状:森のテラスに朝食の用意をします 5日早朝に馬車別当が出動します>

ええっ!そんな、突然の招待状なんてありですか~?

山荘森からの朝のお食事会へのご招待、もう馬車の手配もできてしまったらしいので、
さて何とかして、その時刻に辿り着かなくては・・・

 

夜明け前に起床、まだ明けきらぬ中をただひたすらに歩いて、停車場へと向かう。

林の道に差し掛かると、蜩の合唱が、夜明けの光を促すように響き渡る。
遠く空を巡り、山荘森の蜩ともこの合唱は共鳴しているのかもしれないな。


30分近く歩き続けてやっと鉄道の駅舎へとたどり着く。

さすがに早朝の電車はがら空きで、無事に馬車別当の待つ東山梨駅へと運んでくれた。

途中目にする窓外には、淡いピンク色の朝靄に包まれた夢のように美しい風が広がる。

思わず牧場の朝♪を口ずさんでしまうほど、心が弾む。

 




長梅雨、日照不足で落ちた桃

日照無く反射シートも役立たず
「あー坂原さんですね。
26年前の新築祝いに里の消防団が
お伺いして、消防車から屋根に
盛大に散水したのを覚えてますか?
あの時の消防団員ですよ」

山荘眼下の福生里は竹森川が
中央に流れ右岸と左岸に
分断されている。
トレーニングや散歩コースは、
殆ど山荘のある右岸にあるので、
左岸の農園主と顔を
合わせることはあまりない。

左岸にある桃園で作業している
農園主の顔も見覚えも無く
突然、名前を云われて吃驚!
それにしても26年も前の
新築祝いで消防活動をした家の
名前を憶えているとは!
「まー、今年は雨ばっかで
桃はごらんのように駄目ずら。
見栄えの良い桃でも
切って中をみて観ると、
種の回りも腐っていてベトベト、 
甘さも不足していて、
売り物にならんですよ」

寒風吹きすさぶ真冬から
手間暇かけて育てて来て、
やっと収穫の時を迎えたのに、
この状態では
どんなにか落胆していることか!
察するに余りある。
 
桃の種部分が腐る

新築祝いに消防団員坂原邸に行きましたと語る桃園主

落ちた桃は穴に埋める(害虫増殖抑止)



森の鼓動が伝わってくる

 

晴天の夜空を切り取ったかのような深い藍色の四輪駆動に乗り込むと、
カボチャの馬車のシンデレラみたいに魔法がかかって、気が付けば仙人ランドの住人になっているのだ。

いそいそと森テラスに踏み入ると、何か印象が違う。視界が広がり、森の奥行きがぐんと深まっている。

森の中に広場が生まれている。ポラーノ広場?この広場なら、夜、動物たちが演奏会や舞踏会を開いても十分な広さだ。
月夜のテラスで,その演奏を聴きながら、グラスを傾けてみるのはどんなに素敵なことかしら。

森ばかりではない、空もまた広くなっている。
山荘の屋根に向かって張り出していた小楢の大枝を伐採したのだという。
確かに生々しい伐採の跡が見て取れる。
そうなのか、幾つかの木々を取り除き、被さっていた大枝を取り払ったことにより、
森の一部は喪われた訳だが、それによって新しい景色が現れたのだ。

それは森の内臓に直に触れるような、森の鼓動が伝わってくるような不思議な空間に思える。
ある意味、より森が近しくなったと言ってもいいのかもしれない。





ヴィーナスにもあげよう!

黒雲がやって来て、さあ雨を降らすぞ!
えっ、それじゃ光を吸ってない桃は、
甘くならないうちに
バラバラと落ちてしまって、収穫出来なくなってしまう。

それじゃ、桃の収穫で生活している農園主は、
1年分の収入を失って大変!
せめて落ちた桃を缶詰にするとか・・・。
落ちた桃には病原虫が着くので
穴を掘って埋めてしまうのだ。
テラス下の畑に長方形の白いシートが
敷いてあるだろう。
あれは太陽の光を地面で反射させて
下から桃に太陽を届けるんだ。

そうすると光を吸い込んで桃は、
小さな太陽になって紅く色付き、こんな風になる。
でも今年は1か月も連日の雨で、
やっと8月になって太陽がチラリ。
それでやっと紅くなった桃を届けてくれた。


テラス下の桃畑で収穫



風の戦ぎに身を任す

森の広場は斜面になっていて、伸び上がっていく空間はまさに舞台のようだ。大岩がお誂えの舞台装置になる。

テラスに座っていると、鳥が通りすぎ、とりどりの蝶たちが舞い、蜻蛉も登場する。

木々の葉擦れの音に耳を澄まし、遠い梢の先の空の色を拾いながら風の戦ぎに身を任す。

そんな風にしていると、やがて森の舞台で繰り広げられている壮大な物語の意図が観えてくるような気がする。

長い歳月をかけ森が創造されるまでの間に繰り返されたドラマ、そして、森に集う小さな生物たちのドラマ。

この森の畔に建てられた山荘。山荘にさえもう4分の1世紀以上の歴史が刻まれているのだ。

森と共に進化してきた山荘、いつかこの山荘もまた森に還る日が来るのかもしれない。

そのとき森は巨大な仙人墓となり、仙人のドラマも森に組み込まれていくのだろう。

そこへ係わった小さな命のひとつとして、私もまた森の記憶のどこかに組み込まれるのであれば本望だ。

 



山荘屋根上に襲い掛かかる巨木は伐採じゃ!
ずんずん森が延びて山荘に迫る。自然倒木となったら山荘は潰される


今日こそ天下分け目の勝負と朝からハーネス、ザイル、カラビナ、2台のチェーンソウ、修理具、チェーンオイル、ガソリンを揃え森に入る。
目的は山荘屋根から森テラスの頭上を覆う森の伐採だが、もっと大切なのは何としても無傷で伐採作業を完了することである。
完了と云うのは必ずしも、伐採成功を意味しない。物凄く危険な作業なので、
セルフビレーを取り安全確保を優先しベストを尽くすが、それでも伐採出来ぬと判断したら中断する。

7mの2連梯子を樹高30m程の小楢に立て掛けるのだが、山の斜面なので梯子の2本の脚を安定させるのが難しい。
左右の脚を同じ高さに揃えねばならぬが、切断予定の直径30cm程の枝とは云えぬ大木は、
当然ながら高い位置から山荘の屋根上に伸びているので、其処に梯子を掛けるとなると、斜面に沿って斜めに掛けねばならない。
つまり2本の脚は高さが異なり、最初から斜めに傾いた梯子となるので、梯子が倒れぬ様しっかり固定する必要がある。



月の記憶

 

月はいつでも、優しい光で命の源へと問いかけ、心象を照らす役割を果たす。

 

イオと名付けられた部屋の大きなガラス窓からは、森とほんの少し距離を空けて、まっすぐに天を目指す欅の大樹が臨める。

夜明け前、気が付くとその欅の梢越しに十六夜の月が覗いている。

まさか、あれが月!?と驚いて目を凝らす。
太陽を弱々しくさせたようなオレンジがかった丸い月は、欅の葉越しに見るせいで、ちらちらと巨大な線香花火の玉のように、不安定に揺れている。 

その不安定さに一層心惹かれ、細かく震える心象風景が、断片的な記憶の欠片となって夜明けの渚に打ち寄せる。

 

海の中では、満月の夜に珊瑚が一斉に産卵する神秘的な光景が繰り広げられたのかもしれない。
ウミガメも満月の夜に産卵するという。

きっと夕べは南の海でたくさんの命がきらきらと生み出され放出されたはず。

月は時に生命を促す役目も担い、またその命を宙へと連れ戻す手助けもするのだ。

役目を終え、何だか半分燃え尽きたかのように、ゆらゆらと今にも墜ちていきそうな線香花火。
一瞬一瞬の刹那の繋がりのように、花火の光が記憶の閃光となり、弾けて消える。


 




高くて届かないぜ!


梯子は65度程の角度で
小楢の太枝に立て掛けているので、かなりの力が
加わらない限り前後の転倒は無いと判断。
さて梯子の固定はこれで良いとして、
直径30cmにもなる太枝は、
長さが12mにも及ぶので、落下地点は
広範囲になる。

山荘屋根、森テラス、テラスアーチ、
ブリッジとブリッジの硝子卓が直撃される。
テラスアーチは分解して片付け、
テラス上の観葉植物を移動し、
ブリッジの硝子卓を安全場所に運ばねばならぬ。
例え梯子を固定しても、
最初から斜めに傾いた梯子に
乗ることそのものが最早危険作業で、
林業作業では許されぬ行為である。
しかし岩壁クライミングのレベルで考えれば、
そんな不安定な姿勢での作業は当たり前。

問題は梯子が倒れぬよう固定するロープワークにある。
梯子中央にロープを結び、
斜面上の他の樹と結ぶ。
梯子上部は伐採予定の小楢の幹に固定する。
これで斜面下への梯子転倒は防げるが、
前後の揺れが生じた時は瞬時に転倒する。


梯子から更に登りチェーンソウを上げる 



メメントモリのメロディ

その時銀色の小さな鍵が手渡される。忘れていた記憶の玉手箱。そっと鍵を差し込んで蓋を開けてみる。

海面に銀色の道が何処までも続き、漣に揺れながら蒼い満月に連なる。ヤップの月夜の海だ。

砂浜をガサゴソと無数のヤシガニが歩く音。

蒼い月光は、やがてヒマラヤ襞を際立たせ陰影を纏う峻険な神々の峰を遍く照らしてみせる。

蒼い光の中の静寂と、得も言われぬ造形の尊厳に、ただ立ち尽くした時間。

自らがひとつの生命なんだと、ひたひたと溢れる想いに圧倒された。

月夜の蟹も、氷河の上の一個の命も等しく同じ地球の命なのだ。

私たちはみんな月の満ち欠けに促され、海から生を受け,やがて宙へ還る存在。

チッベトの最後の旅を見送っていた大きな紅い月。


メメントモリを舞う蝶


小倉山の鉄塔を呑み込むように昇ってくる中秋の名月。

いくつものきらきらと輝く宝石のように、月の記憶の忘れがたい光が、小箱の中から溢れ出る。

 月光にも音があるとすれば、それは優しく静かで尚且つ思索的、メメントモリのメロディを奏でるだろう。

 




さて伐るか!

仙人の胴体程の枝伐採
ショック!
全く気付かなかったのだ。
悪戦苦闘の結果
どうにか伐採に成功し
梯子を降りてビックリ仰天!
なな、何とあの頑丈なジュラルミン梯子が
グニャリひん曲がって、崩壊寸前!

梯子の下には
犯人の巨木が横たわり嘯く。
「ふん、ふん甘くみるなよ。
どうだい俺様の力は!
本気でやればこんな
ジュラルミン梯子なんぞ
木っ端微塵だぜ!

まあ、今回は命だけは
助けてやったが、次は
脅しだけでなく梯子諸共お前を
あの世に送ってやるぞ」
 伐採した巨木が何故、巨木より
上にある梯子を襲ったのか?

切断の反動で例え跳ね返っても、
顔や膝が直撃されぬ位置で
チェーンソー操作し、
伐採後の落下位置は何度も
シュミレーションしたが、
まさか伐採位置より
高い斜面に墜ちるとは!

考えられる原因は唯1つ。
長さ12mにも及ぶ巨枝が
一気に落下すると、山荘屋根や
テラスを破壊する懼れが
充分にあるので、
最後まで伐り込まず
自らの重力で折れるまで待ち、
梢が屋根上に接触して止まったのを
確認し、切り落としたのだ。


山荘屋根に落ちる巨木

巨木が梯子直撃

怖ろしや、頑丈な梯子がグニャリ!



墜落防止のセルフビレー!
先ずザイルで梯子の固定、次に仙人のセルフビレーを取り、チェーンソウをザイルに結ぶ

従って屋根やテラスの接触部分から、直線距離にして12m程の斜面に
巨木の切断部分は落ちる筈なのだ。
しかし実際は1m以上も高い位置の梯子に激突した。
先に落ちて接触した多くの太い枝が、切り落とされた瞬間にクッションとなり、
巨木を跳ね上げたとしか考えられない。

うーん、其処までの予測は出来なかったな!
梯子に乗ったままで切断作業していたら、今頃アーメンソーメン冷ソーメンになっていたかも。
なんぞと相変わらず訳の解らんこと云って、仙人は折れ曲がってしまったジュラルミン梯子を
じーっと見つめるのであった。



2本を伐り落としたが、大物が残る



万歩計記録を観ると昨日は14kmも歩き
646Kcalを消費している。
この行動は平地ではなく全て山道での
アップダウンであるから、
実際の消費ヒカロリーはもっと遥かに多い。
今日は日本での最高気温36.7℃を甲州市で記録。

再び仙人山に出かけたが森は
ひんやりとして、山荘のすぐ下で
日本での最高気温を記録した
猛暑日だなんて思えない。
一歩一歩踏みしめて登れる歓びが
込み上げてくる。
手足の指先がジンジンと痺れ、
肉体が空疎化して脚を動かすことが出来ない。
前進機能が失われ、下山しようとの意志は
肉体に伝達されずヘナヘナと座り込みそうになる。
繰り返し何度も体験して来た
懐かしい疲労困憊と脱水状態に陥ったのだ。

水分さえ補給すれば直ぐ症状は回復し、
再び行動できるようになると解っているので
全く不安は無いどころか寧ろこの状態は、
命を共にしてきたヒマラヤ隊員に
逢うが如き歓びさえ感じる。


 
遂に3本目の巨木を伐採



皮下の血管の毛細血管が切れ!

凄い力だ!
その瞬間、もし梯子に
仙人が乗っていたら仙人は、
その衝撃をまともに喰らって墜落し、
ザイルで宙ぶらりんになるか、
落下していたかも。


幸い梯子から更に上部に登り、
梯子に体重を掛けて
居なかったので難を逃れた。
しかし左手の甲は青黒く内出血し、
強打したらしき傷が残った。

打った記憶は全くないので、
緊張の結果、β-エンドルフィンや
アドレナリンが分泌され
負傷の自覚を
消してしまったのだろうか!

段も穴から抜ける!

血液がにじみ出てしまって青あざに!




瑪瑙に舞う烏揚羽の
堆積岩や火成岩の穴に玉髄やオパールが層を成して沈殿した瑪瑙


≪ねえねえ、きれいなもん見せてあげる。あれ、粉々になっちゃった!≫
そういって握りしめた小さな掌を開いて、見せてくれたのは烏揚羽の翅でした。
≪仙人山からゆぴてる峰へ下ったところで、枯葉の上に黒い紫の翅が落ちていたの!
あら、紫の枯葉なんてあるのかしらと手に取ってみたら、蝶の翅だったの!
それで大切にポッケに入れて持ってきたの。なのに粉々になっちゃった。≫

でも夜明けになったら、急にイオの部屋で瑪瑙が光り出して、粉々になった蝶が現れたんです!
あー、そんなのありゃしないに決まってる。
そう云って、きっと、だーれも信じないんでしょうね。
でも仙人の心象風景には、ほら、こんなにも鮮やかに、瑪瑙に舞うカラスアゲハが映っているんですよ。



少女が仙人山で見つけた烏揚羽の翅

砂、礫、土、火山灰、生物の死骸などが、
海底や地表に堆積され
上載圧力や固結力を高める膠結作用を受け、
火成岩と同様に堆積岩も空洞を生じ、子宮を成す。

この子宮にオパールや石英、玉髄と呼ばれる
非常に細かい石英の粒が、
子宮内膜から浸み出し幾つもの層を生み出す。
この層が瑪瑙なのだ。
従って瑪瑙は子宮無しには生み出されない。

気の遠くなる悠久な時を刻み、
ゆっくり、ゆっくり瑪瑙は子宮の中で育まれる。
この瑪瑙の美しさとの邂逅は、
アンデスやガラパゴスへの乗り継ぎで、
過ごしたヒューストン空港。
乗り継ぎの度に買い求めた各種瑪瑙が、
集まり山荘のオブジェに!

蝶はね、民俗学上では死霊の化身と解釈され、
立山の追分地蔵堂では「生霊の市」の7月15日の夜に、
先祖が蝶になって還って来るとか。
宇都宮市では今頃の、お盆ん時期になると仏様が、
黒い蝶になってやって来るとか。

もしかするとこの蝶は仏様になった
お母さんかも知れないね。

瑪瑙は子宮が無いと育たない。
真っ赤なマグマが、
大気中に噴出し、急激に冷えた火山岩や
ユックリ冷えて出来た深成岩に
冷える過程で孔が開き、子宮が出来る。


 
これも蝶かしらと少女は西畑の茗荷を摘む

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