176の1ー2020年 文月
あらっ、小倉山腹に富士山が観える! 書斎テラスと重なり多重光景を生み出す仙人テラス 空と玻璃 生きる上で空の広がりがとても大切な条件である。 いつのころからそんな意識が芽生えたのか。 子供時代に原っぱに寝転がり見上げた空の限りない広さに、どこまでも吸い込まれそうな心細さと心地よさに包まれた記憶がある。 空にはすべてがあった。光も色も動きも、広さも深さも、 歓びも哀しみも、自らの内側に潜む全ての想いを解き放ち受け入れ、容認してくれる存在でもあった。 空が広がる場所であれば、きっとどこであっても生きていける、そんな思いが年とともに強烈な意識として根を張ってきた。 深い森を抜けて、山巓に到達したときの空との出逢いは、特別に感慨深いものがある。 絶えず遮るもののない空との対峙でもある、ヒマラヤの山々での宙との対話。それはまさに空の深みへと降りていく儀式でもあった。 ことに好きなのは、夜と昼のはざまの時間帯、変化して行く夕焼けの空や払暁の光だ。 そんな時間は何を差し置いても空を見上げたい。 米国西海岸の町に住んでいた頃は、太平洋に沈む夕日を追いかけて、広大な海原と空を眺めるのが好きだった。 この空の彼方にある故国日本がちっぽけな島国なのだとなぜか実感した。 |
左扉のトイレが森に成った! そんな朝は小倉山から 太陽が顔をだした瞬間から、 輝かしい光に彩られ、空は澄んだ水色に広がり、 その光と色は チベットの夏の朝を思い出させてくれるのだ。 予想に反して、雲が空の半分以上を 覆い隠しているときも、 やはり朝は清々しい風を運び、 山荘の一日の目覚めは歓びでもあるのだ。 活動できるということが、生命にとって 何にも代えがたい歓びであることを 思い出させてくれる場所、それが 私にとっての山荘の意味なのかもしれない。 そして同時に、命の歓びを実感するためには 空の広さも 欠かすことのできない条件なのだ。
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山荘にいると いつも空と共に居る幸せを感じられる。 夜の明ける気配が空に漂い始めるころ、 森の木々は深い眠りから目覚め、 ゆっくりと優しく風を受け容れる。 葉がさわさわと風の通り道を拓くと、 ちらちらゆらゆら小刻みに揺れる 無数の葉の囁きが、聴こえてくる。 未だ光はほぼ夜の側に 閉じ込められて居る筈だが、 空の透明感は隠しようもなく、 明けてくる今日が晴れていることを知らせている。 |
仙人テラスから書斎を突き抜けて富士が観える! |
春の花が終わり花衣も替えなくちゃ! 朝食を摂りながら仙人テラスの花摘み 山荘にはもう一つ、他では演出できないすぐれた仕掛けがある。無数に張り巡らされた大きな玻璃戸。 そこに空が映り、森が映り、山が映る。映り込んだ景色の中に、さらに別の実景が紛れ込む。 一見しただけでは、どれが本物で、どれが虚像でどんな組み合わせになっているのか戸惑ってしまう。 全く予期せぬ新しい景色が不意に生まれることがあるのだ。 波瑠を通じて青空の中に小倉山が泰然と浮かび、その幻の小倉山の懐に抱かれるかのように富士山が坐す。 |
自家製ハム! |
テラス料理店の メニュー 仙人山から滑沢山、鈴庫山を経て 高芝山、上条山、小倉山、富士山と 重畳たる山脈に囲まれた 甲州盆地を眼下に見下ろす 一階のウッドデッキの大パノラマは、 天空と大地の交響曲。 このテラスで供される調理は、 テラスの大皿に盛ったスペアリブが 定番と成っている。 採れたての新じゃがを空揚げし 塩胡椒を振り掛け、 スペアリブと食べると交響曲は 五臓六腑を駆け巡る。 新たに誕生した森テラスは 夜明けの光を浴びながら、 生ハムやスライスサーモンなどと 畑で採れたての野菜を サンドイッチして食べるには最高! ニニロッソのトランペットソロが 流れたりすると 森の無数の葉が震えて トランペットとアンサンブルする。 満月が山影から昇る仙人テラス、 残照を浴びながら食事を 愉しめるイオテラス、 更にはログハウスにある2つの テラスを加えると 山荘には7つのテラス料理店あり。 が、このテラス料理店も 老劣化が進行しつつあり、 閉店間際だとか! うーん、そんじゃ今のうち大いに 愉しまなくちゃ! |
旬の大葉をたっぷり! |
新玉葱120kg収穫! |
レタスは花が咲き始めた! |
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サーモンスライスサラダ |
茄子も採れ始めた! |
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採りたて野菜の糠漬け |
じゃ芋150kg収穫! |
石垣修理で今年のキウイは収穫出来るか! |
抜けない!硬い!玉葱奮闘記 一応包丁、立鍬、収穫籠を持って玉葱畑に降りたが、実に甘い判断であった。 マルチシートの固定ペグを抜き、マルチを剥がしてスポスポ玉葱を抜き、収穫籠に入れ、 ログテラスの庇に干せば玉葱収穫は終わり。簡単な作業の筈であった。 しかし何度か試食の為に1カ月ほど前から収穫をしてみたが、今年の玉葱は簡単には抜けないのだ。 スコップを使っても手強くグズグズしているうちに次々と薹がたち始め、 先週慌てて開花部分を切り落としたが、その後の雨で更に収穫は遅れ、今日になってしまった。 ん、でもって玉葱収穫には不要な包丁など持ち出して、立鍬で玉葱を掘り出そうと一撃を加えたが、全く歯が立たず。 包丁で葉を切ってマルチを捲り、再度立鍬を打ち込むが玉葱はどこ吹く風で、地にどっかり根付いている。 仕方なく重い唐鍬を取りに行き、再再度玉葱収穫に挑む。 なんて云ったら、おやまー何と針小棒大、怒髪冠を衝くが如くの大袈裟な!と云われそうだが、 此処20年以上玉葱栽培して来て、これ程までに抜けない玉葱は初めて! 作戦を変え先ず総ての葉を包丁で切り、固定ペグを抜き、大地に喰い込んだマルチシートを剥がし、唐鍬で深く掘り起していく。 大きな玉は1個で500g程あり、こいつを240個も掘り起こすのだから半端じゃない。 掘り起こした後、こいつを林檎畑から遥か上の奥庭まで、運び上げるのだが、 100kg以上あるのだから腰痛に苦しむ仙人にとって、地獄に墜ちるようなもん。 あー、≪奥庭が遥か上≫がオーバーだって、いやそりゃヒマラヤに比べれば、屁の様な高度差だが、 こいつが中々の曲者で老劣化した仙人には地獄なんじゃ! とか云って玉葱収穫後にはいそいそと、仙人山へ夕刻トレーニングに出かけたとさ!めでたしめでたし。 |
バンビのキキが玻璃戸の中を 何とも不思議な光景である。夜ともなれば、森の中にあるはずのない盆地の明かりが広がったり、 六角ナットの仏陀がもう一人玻璃の中の、もう一つの部屋の隅にうずくまっていたりする。 あるときはバンビのキキが玻璃戸の中を走り回っていることがあっても不思議ではない。 ワンダーランドがあちこちで生まれる。それを発見するのが楽しみでもあるのだ。 ある瞬間違和感なく誰かと心を交わせることがあるように、 空と玻璃がふとした瞬間に創り出す見たこともない世界は、 人間が他者との間に深い交感を得た時のような驚きと歓びがある。 |
新玉葱収穫 |
新たに照明点けたヌン峰(7135m)山巓! |
根が張り抜けないぜ! |
空はいつか帰る場所、 空は見えない故郷のような ものなのかもしれない。 山に登り始めたころ、なぜ そんなに山に 惹かれるのか分からなかった。 次第に厳しい山へと 誘い込まれるように足を向け、 ただひたすらに登るという行為に、 意味は分からないながらにも 心が満たされる瞬間があったから、 続けられたのだろう。 いつしか目指したヒマラヤの山々は 生命そのものを拒絶するような、 険しく厳しい 自然のむき出しの姿を曝した。 すべて無機質の岩や雪や氷の中で、 本当にちっぽけな命の存在は 奇蹟のようなものなのだと、 だからこそ 愛しく大切なのだと教えられた。 辛い登山は足元ばかり見ていたが、 ふと目を上げたときに、 |
空への憧れが次の一歩への 原動力になったのかもしれない。 山を登るということは、 いつも空への 旅立ちだったのではないだろうか。 山荘にはビッグツリーがある。 南の国の丘の上に一本の 大きなシンボルツリーが聳えていた。 私たちはそれをビッグツリーと呼んだ。 山荘のビッグツリーは欅の大樹だ。 空へ空へと向かって伸び続けている。 その幹を登山シューズが攀じている。 透明人間になった私が空へ向かって、 ひたすら歩み続けているようだ。 大樹の先頭には 仙人の履くブーツも見えている。 空へ向かってわたしたちは みんな歩いている。 いつか空へ還る日を夢見て、 歩き続けるのだ。 イオのベランダから朝焼けの空へ 聳えるビッグツリーを眺めていると、 そんな気持ちが湧いてくる。 |
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唐鍬で掘り起こす |
100kg程の収穫 |
太陽に炙られ遂にノックダウン マジに動けない。 と今までにも何度も感じて来たが、倒れて寝なければならぬ程のダメージでは無かった。 しかし今回はもうどうにも動けず、畑から母屋に戻り、 居間の長椅子を拡げてベッドにする作業も出来ず、そのまま倒れ込む。 10分も寝ていれば回復するかと静かに目をつぶっていたが起き上がれず。 こりゃ完全に脱水症状だと気づき、心臓に悪いと知りつつ、 グラスに氷とレモン、水を入れ冷たい檸檬水にして呑んだらやっと動けるようになった。 原因は全庭&全畑を厚着で一気にカルサーで草刈をしたことに間違いない。 カルサー草刈機のパワーは強烈で、草だけでなく土や小石、小枝までも巻き込み吹き飛ばす。 従って厚着し脚の保護に長靴を履き、シャツの手首や首の釦をしっかり止め、ネットを被り、 更に帽子、フェースシールド、厚い皮革エプロンで弾丸から身を護る。 この状態で、35℃を越える真夏日の畑に出て作業したらどうなるか、推して知るべし。 この激しく発汗を伴う重労働で、作業途中何度もマシントラブルが起こり、その都度刃であるナイロンコードを引き出し、 長さを調整したりと、肉体だけでなく神経も消耗しヘタヘタ。 その後、じゃが芋収穫に取りかかり重労働に拍車がかかり、ギンギラ太陽に炙られ遂にノックダウン。 寝なけらばならぬ程のダメージを受けたのは初めてなので、実にショックである。 若しかするとこれって年取ったのかな?なんぞと戯れ言を云ってみたりして! |
山荘仕事あれこれ 西畑でじゃが芋収穫 優雅な朝食が済んだら、さっそく仕事に取り掛かる。二階の各テラスを掃除すること。 ホースを上にあげ、水で汚れを流しながらデッキブラシでこすると、たちまち綺麗になる。 最期に雑巾で水分を拭き取り、見違えるようにさっぱりしたテラスに満足。 でも、翌朝には森テラスはもう葉っぱや蕊がたくさん張り付いていた。 森テラスなんだから夏場は仕方ないですね。次は畑へ出陣。「本日の予定を説明しよう」と、先ずはリンゴ畑へ。 |
ホースを上にあげ! じゃが芋は実に大小さまざま、 よくもと思うほどゴロゴロ出てくる。 それはそれで面白いのだが、何しろ多い。 収納かごにいっぱい入れると、重たくて持ち上がらないので、 半分に入れ替え運び上げる。 運ぶ仕事は仙人が引き受けたが、 なんと12回にもわたったとのこと。 最期の一籠は私が運んだのだが、途中で 休み休み急な斜面を踏みしめながらやっと 運び上げたのだから、これを12回は想像を絶する。 |
「取りあえずこのじゃが芋を収穫したら、 ここへ石灰と鶏糞をまいて耕運機をかけること。」 「そのあとでブドウ畑や西畑もやることいろいろあるし。」 早速芋掘りに取り掛かる。 仙人が鍬で掘り起こし、 私はシャベルで傷つけないようにじゃが芋を掘り出す。 連携して行えば直に終わると思っていたが、 とんでもない誤算。 さほど広くは見えない斜面の畝なのに、 実はとんでもなく広いのだ。 掘っても掘っても、終わりが見えないとは このことかとその広さに泣かされる。 |
デッキブラシでこすると! |
気楽に始めたじゃが芋堀! |
気楽に始めたじゃが芋堀は なんと3時間も かかってようやく完了した。 短距離コースの扇山散歩を目指したが、 稜線に出るより前で 腰痛のために仙人がギブアップ。 翌日は朝から仙人は カルサーで庭の雑草刈り。 それから西畑でまたじゃが芋の収穫。 これは程よく終了。 草取りや支柱立て、 サツマイモ畑の手入れと続く。 畑で労働すると、 蒸し暑くて汗が滴る。 |
なんと3時間も! |
仙人がいつの間にか 消えて戻ってこない。 心配になったので探しに行くと、 なんと気分が悪くなって 休んでいたとのこと。 原因は水不足、 あわや熱中症になりかけたようだ。 水を飲んだら治ったとのことだが、 油断はできない。 そんな訳で今日も山散歩は中止。 三日目は朝から雨。 窯室で収穫済みのじゃが芋と、 玉葱を大きさ別に選別した。 |
草取りや支柱立て! |
今日こそは傘さしても 里歩きをしようと言っていたのに、 雨が激しくてやっぱり止めた。 嘗ては朝と夕の 二回もトレーニングを兼ね、 山を登ったのに、3日も続けて 山を登らないなんて・・・ 不死身だと信じていた仙人も やっぱり老いたのだ。 滝上のボン・シルバーがちょっと シニカルな笑みを浮かべて、 見下ろしている。 |
じゃが芋は実に大小さまざま! |
「老いるということも、病だって 悪くはないぜ、なんてったって おいらが付いているんだから、 まあ任せておけよ!」 仙人が聴いたら 「ナンタルチア⁉」と 叫びそうなことを、 ボンシルバーは嬉しそうに囁く。 でもなんだか、まだこれからも 知らなかった面白いことが 待っているのかもしれない・・・ 何かを探して、人は 空へ還る日まで 歩き続けていくんだろうな。 |
空へ還る日まで! |