【C】 ぱぷあ人の生活

《T》 顔に刺青、歯はビートル・ナッツ常用で赤い女達
キンベの朝マーケットにて 2012年3月25日(日)、30日(金)

  何故顔に刺青を 

なにしろ5300年も前の
アルプスの氷河から発見された遺体
アイスマンにも
刺青が在ったと云うのだから
人類と刺青の歴史は長いのだ。

それにしても美的装飾とも思えぬ
線や点の刺青を
何故顔に施すのか?
女達が顔に刺青をする理由は
2つに分かれると云う。

1つは醜くして侵略者から身を護る。
もう1つは特定の男性・夫や
同棲者の関心を満たす為の時には
強制された表明とか。
身を護る必要があるのは特に若い女性。
だが侵略者の居ない現在
刺青の必要は無く確かに若い女性の
刺青は殆ど見られない。

一方、口の赤いのは
若い女性にも多く観られる。
ビートル・ナッツと呼ばれる檳榔子(びんろうじゅ)
の実とマスタードの実
これに貝殻を砕いて粉にした石灰を
口に放り込みクチャクチャ咬むと
口の中は真っ赤になる。

やがて頭がポワンとしてきて
動悸が高まり陽気になり笑顔が溢れる。
パキスタンやインドでは
マスタードの実の代わりキンマの葉で
ビートル・ナッツを包み咬む。

ヒマラヤのポーターが刻んだ檳榔子を
キンマの葉に載せ咬んでは
ぺっぺっと吐き出す姿を見て
てっきりヒマラヤ周辺の習慣かと思った。
が世界の珊瑚海を巡るようになって
むしろキンマ常用は東南アジア、オセアニア
の海沿いが中心であると
初めて知ったのである。
 
   
   
     
  ビートル(Betel)とは
学名Piper betleと呼ばれる胡椒科の
蔓性の常緑多年草。
ハート型のつやのある葉をつけ、高さ1mほど。
白い花をつけるが目立たない。

このビートルをキンマと云うのだが
Nutを付けると檳榔子の実になり
Palmを付けると檳榔子そのものになる。
つまりビートルとは
キンマと檳榔子と両方を意味するらしい。
 


路上で売られるビートル

酒を禁じるイスラーム圏やパプアのように
酒を手に入れるのが難しい国では
酒の代わりにこの檳榔子が好まれる。
それにしても朝から晩まで
ひっきりなしに
煙草のように常用してるのには驚く。

煙草と同じく健康に良い筈が無く
パプアでは
このナッツの常用で毎年2千人もの
死者が出ていると《太平洋諸島ニュース》は
伝えている。 

PNG国民が彼らの嗜好品ビートル・ナッツを
咬むことにより、年間少なくとも2000名の人々が
亡くなっており、多くの健康障害を起こしているとして、
その売買を規制すべきであるとPNG医学会は
警鐘を鳴らしている。
同医学会のサプリ博士は、ビートル・ナッツを
愛用することにより、口腔癌、喉頭がん、
口腔衛生の欠如、胃炎、消化性潰瘍などの病気で
死亡していると述べた。
(Post-Courier/Pacific Islands Report/12.02.2009

やがて頭がポワン

動悸が高まり陽気になる



《U》 高床式の家と豚

浜と森に住む人々 2012年3月25日(日)、30日(金)


森の中の高床式の住居

玄関:ドアは要らない
森の中の家

首都ポートモレスビーからニューブリテン島の
ホスキンス経由でキンベまで来たが
此処は観光地では無い。
ダイビング施設を備えたリゾートが1つ在るだけで
他には何も無い。
パプア人の家を訪ねたいが何処に行けばいいのか?

DVスタッフに訊いたら滞在リゾートの門衛の係累が
森に住んでいるのでバードウオッチングの
途中で訪問してみたらどうかとのこと。
広大なパーム農園をジープで飛ばし終点の森の奥から山に入り
暫く登り詰めると熱帯雨林を切り拓いた僅かな地に
細い丸太で組んだ高床式の家が2棟。
住人は皆働きに出ていて
夕刻にならないと戻らないと云う。
庭にはパパイアやバナナ、カカオ等の果樹が植えられ
テーブルには綺麗に洗った食器が並べられ豚が
住人のような顔して歩きまわっている。

ハンモックの吊られた寝室は夜になると蚊帳が張られ
蚊や蚋、昆虫等から身を護るらしい。
キッチンも実に簡素でコンロ1つと
水タンクが1つで家族8人の調理をこなすらしい。
主食はタロイモ、薩摩芋と云われているが
サゴヤシの澱粉も食べているのだろうか?

キッチン:コンロ1つで家族8人

寝室:身を守るハンモック

海辺の高床式

竹の皮を壁にする
浜辺に住む人々

浜辺に住む人やパーム農園社宅に暮らす人は
リゾートの近くにも居るので
【ビレッジツアー】なるものが組まれており
1人55キナ(2200円)でリゾートの運転手が案内してくれる。
(1キナ≒40円)

ジープを降りると子供達がうわーと集まってくる。
海辺の家も高床式で森の家と大差ないが
家の数が多く
セトルメントと呼ばれる集落を成している。
山間部に住む人々にとっての財産は豚だと聞いていたが
浜辺でも豚が我が物顔でノッシノッシ。
森での薪集め、魚採り、干した草で籠や茣蓙を
編むのも女性の仕事で勿論
調理、授乳、子供の沐浴もこなすと云うのだから
パプアの女は実に働き者である。

と聞いていたが回りをちょっと見回しただけで納得。
男たちは涼しい床下でのんびり寛ぎ
お母さんは一人でせっせと食器洗い。
じゃ、男たちは何をするのかと云うと夜になると
森に狩に行くらしいが
毎日ではなく結構暇らしいのだ。
男たちが熱中するのは伝統的な儀礼や信仰であり
ハウスタンバランと呼ばれる精霊堂に集い
時にはタジャオなる精霊に扮したりして
セトルメントの伝統文化を守ることらしい。

豚との共生

残飯出ないかな!

高床の下は豚の棲家

昼は涼しい床下が憩いの場
2つの摩訶不思議
そのT
パプアには王様も貴族も居ない。
同じ熱帯の島ハワイには彼の有名なるハメハメハ大王が
居たし、タヒチにはポマレ王朝が出来た。
フィリピンの小さな島・マクタン島でさえ首長が居た。
ポルトガルの航海者・マゼランを
首長・ラプ・ラプが討ち取った話は有名である。

それなのに、はて何故
4万年以上も前からこの地にやって来て
集団で生活を営なんでいるのに
パプアには国らしきものが出来なかったのか?
さあ、考えておくれ。
そのU
更にもっと不思議なのは700を超える言葉。
僅か520万人(2000年現在)しか居ないのに何故
700以上もの言語が存在するのか?
言語学者によると
この700の言葉は方言程度の違いではなく
例えば英語とフランス語程の違いで
まるでちんぷんかんぷんだと云う。
日本語と比べると韓国語くらいの違いだと云うのだから
こりゃ全く別な言語といってもいい。
520万人÷700語≒7429人
たった7千人程で1つの言語が成立するなんて
在りうるのだろうか?

油椰子(パーム)油農園労働者の社宅

凄い!社宅には電気がある

どうだ!電線だぞ

さあ仕事だ!
パプアで使われている英語との混成語・ピジン語で
同じ言語を話す部族を《ワントーク》と呼ぶ。
『ひとつの(wan)言葉(tok)』と云う意味でありOneとTalkの
英単語から生まれたピジン単語。
つまり言語の数だけ部族が分かれているということである。

この2つの摩訶不思議は
瞬時も休まず激しく流動し続ける現代社会に在って
流れに呑み込まれぬ最後の秘境
であるかのようにパプアの植民地化を無視するのだ。
勿論、パプアも周辺国と同じように
1884年には植民地化され
ニューギニア島北部と近隣の島々はドイツが
ニューギニア島南部は英国が
領有を宣言している。

更に東経141度を境としてニューギニア島の西半分は
オランダが植民地化していたが何れの国も
パプアの2つの摩訶不思議の前には打つ手も無く
僅か海岸部を領有しただけで
内陸部に棲む大多数のパプア人たちは
植民地化されていることなぞ全く与り知らぬことであった。

油椰子(パーム)を満載したトラック

油椰子(パーム)農園に放牧された牛


2つの摩訶不思議の解き・その1

様や首長、貴族を生み出すのは云うまでも無く富の集積である。
富の集積は何によって齎されるか?
マルクス経済学を紐解くまでもなく剰余価値に在ることは云うまでもない。
人類が始めて剰余価値を手にしたのは農耕文明によって生み出された余剰農産物を通してであった。

と前置きを述べれば即、「そうかパプアには農業が無かったんだ」と結論したくなるが、どっこいパプアは
メソポタミア、インダス文明と並び世界で最初に高度な農耕文明が発達した地である。
2008年にユネスコの世界遺産として登録されたパプア中央高地のクック古代農耕遺跡では
1万年前の農業灌漑設備が見つかっている。
となればクックを中心に富の集積が起こり徐々にその輪は広がりインカ帝国のような巨大王国が誕生しても不思議ではない。
だがそうはならなかった。

何故か?どうもその根本原因はパプアの過酷な自然が生み出した原始共産制にあるらしいのだ。





《V》 活気ある朝のマーケット
朝市に集う人々 2012年3月25日(日)、30日(金)


屋外のタロ芋売り場

焼いて食べる青バナナ

大人気の臓物煮
驚れーた。
海岸部は植民地化が進み
貨幣を介して多くの物品が流通している
とは聞いていたが
まさか毎朝これ程の大きな規模の
マーケットが開かれているとは。

ここニューブリテン島の椰子農園は
138年前の1884年にドイツが
植民地化してから開拓が始まり
 その後オーストラリアが引き継ぎ
現在キンベの農園はマレーシアの企業が
買い取り運営していると言う。
 
ビニール袋に入れて売る
 従って植民地化の歴史は長く
農園で働くパプア人は
すっかり貨幣経済に慣れている。
このような大きなマーケットが
毎日開かれるのも当然なのだ。

ここの農園も嘗てはバナナやココ椰子を
栽培していたが現在は
油椰子を主力にし農園に牛を放牧し
牧畜も手がけているとか。
加工した油椰子の輸出先は日本が筆頭で
食用油、マーガリン、石鹸等になって
我々の生活を潤しているのだ。

山岳民族に欠かせない乾燥した海草

焼き魚をラップで包んで売る

マンゴスチン果物もいっぱい

野菜、果物、魚、肉、調味料
日用雑貨、殆ど何でも売っているのだが
探しても見つからなかったものの
1つに米がある。

19年前の1993年に
此処ニューブリテン島の東に在る
ラバウルで稲作を主とした
農業指導を始めた荏原美知勝氏は語る。

「長い間芋類、バナナ、サゴヤシ澱粉を
主食としてきたパプア人は近年
やっと米を週に3,4回は
食べられるようになりました」

じゃが芋、胡瓜もあるぜ

カカオやコプラ、木材を売って得たお金で
米を買っていたが
近年はカカオやコプラ栽培の代わり
稲作を始め、自分達で食べる米を自分達で
作るまでになったと云うのだ。

急速に変貌しつつあるパプアの象徴と
隅々まで米を探したが
見つからなかった。
米は未だ未だ高嶺の花で庶民には
手が届かないのだろうか。
しかし近い将来、この広大な未開の地を
抱えたパプアが
世界の食糧難に貢献する日は
必ずやって来るのだ。
 
玉葱、大蒜も美味しいよ
 
葉物も沢山あるわよ
 
どうでえ!ピーマンなんて



《W》 極楽鳥の国の近未来・・・輸出産業  

パプアの珈琲
農産物輸出収入bP

愛飲しているキリマンジャロが
100gで630円だから
現地で買った安い筈のパプア珈琲
も決して安くは無い。
100gで400円もしてはパプアの
人が飲める値段ではない。

パプアでの農産物の輸出収入の
45%を占める珈琲は
全人口の3分の1にあたる2百万人の
農民に現金収入を齎す。
つまり現在のパプアにとって最大の
雇用を生み出している
欠かすことの出来ない産業である。

珈琲の王様と云われる
ジャマイカのブルーマウンテンの
苗木とかアフリカの
アラビカ種苗木で栽培を始めた
のだとか諸説あるが

極楽鳥珈琲のお土産 500gで24.5j(約2千円)
上質の珈琲であることは確からしい。
日本への輸出はほんの僅かで
中々手に入らない。
そこでこの500g入りの
極楽鳥珈琲を3袋買いこんで
キリマンジャロやハワイコナ等と
飲み比べてみた。

酸味がやや強く香り高い極楽鳥は
飲み始めたら癖になり
とまらずついに最後の1袋となり
寂しい想いをしている。

商社による自然破壊と非難された
木材産業も伐採後の植林が
始まり、パプアにとって史上最大の
プロッジェクトである
液化天然ガス(LNG)の出荷は
2年後に迫っている。
パプアは前途洋洋である。

が欧米等の禿鷹共の餌食となって
豊かな資源が奪われぬよう
パプアの近未来に
眼を光らせ続けねばなるまい。


2つの摩訶不思議の解き・その2

調べてみたらクックの古代農耕遺跡の近くまで行ったことがあると解った。
2回目のパプアニューギニアのダイビングでマダンを訪れた後に西に位置する山岳民族の住む村へジープを飛ばしたことがあった。
その西にはパプアの最高峰ウィルヘルム山(4509m)を抱えるビスマーク山脈が聳えているが
マダンから僅か200kmのその高地にクック古代農耕遺跡はあったのだ。

クックの農耕文明により富の集積が行われれば僅か200kmしか離れていないマダンも当然クック王(?)の支配下におかれ
豊かな海を手にしたクック王国(?)は益々富み栄えたであろう。
だがそうはならなかった。
標高1600mに位置する僅か200ha程の湿地帯に閉じ込められたままクック古代農耕は質的変換を齎すことが出来なかったのだ。
地形が険しく熱帯林に囲まれた地に王国支配の動脈ともなるべき道路を造ることが出来ず、
支配どころか更なる農耕を広げることも儘ならず結局、富の集積は実現しなかったのである。
(幾つかの資料からの筆者の推論)

で、どうなったかと云うと大多数のパプア人はタロイモやバナナの焼畑農耕や狩猟採取に依拠しながら
自給自足の生活を送ってきたのである。
焼畑農耕では1,2年で畑は放棄せざるを得ず、狩猟も採取も一か所に留まっていては獲物は減ってしまい移動を余儀なくされる。
ひっきりなしに移動するため集団は小規模となり富の集積などありえず、集団が生き残る為には獲物を平等に分けて
一人でも多くの仲間を養わねばならない。原始共産制そのものである。

生き残るために他の部族との戦闘を避け集団は孤立し閉鎖的になり長い年月を経て言葉すら孤立し
やがて《ワントーク》と呼ばれる700を超える言語と部族が生まれたのである。
(参照:「パプアニューギニア」一章、熊谷圭知)




《D》 パプアの蝶と花


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