《B》 ぱぷあ人の素顔


《T》 童子・漆黒の輝き
キンベの朝マーケット&村にて 2012年3月25日(日)〜30日(金)

パプアの子どもたち

ビレッジツアーと称して、
運転手が近くの村へ連れて行ってくれる。
車を降りると、
黒い裸ん坊達がわらわらと集まってくる。
圧倒的に男の子が多く、
どの顔も好奇心と親愛の情を満面にたたえ、
真っ白い歯を覗かせる。


我先にとカメラの前に顔を突き出す。
なめし皮のようなしっとりと光沢を帯びた
黒い肌にちりちりのカーリーヘア、
大きな瞳が印象的な子どもたち。
どの顔も真っ白な歯を見せて
個性豊かな笑顔を創る。

この笑顔、子どもの特権で、
大人たちは
白い歯ではなく、ビートルナッツの赤い液に
染まったオレンジ色の口中を晒すことが多い。
海辺の村では、
集まってきた子どもたちは
歓声を上げながら、
カメラに向かって身ぶりよく
ポーズをとってくる。
 ・
この国では部族ごとに伝統ある
踊りシンシンを持っているが、
彼らもそのシンシンを踊るのであろうか?
表情豊かに楽しげに
隊長の向けたカメラに収まってくれる。
リゾートのオーナーは
従業員や近隣の村の子どもたちの為に、
小さいけれど学校を創ったそうだ。
   





     
  屋根と柱だけの簡単な建物らしいが、
学ぶ場があることは、子どもの未来に
大きな可能性の扉を創ることに違いない。

少年たちの真ん中で
大きな瞳を輝かせる女の子の夢は、
学校の先生かもしれないね。
男の子の夢は?
この海の向こうの知らない世界へ
漕ぎだしていくことかな?


浜辺の子どもたち

夕方になると、
遠い海面に子どもたちのシルエットが
決まって現れる。
どうやら、夕食のおかずの
貝や小魚を採っているらしい。

男の子たちの仕事なんだろうな。
この辺の住民は
陸に食べるものが豊富なので、
漁はしないらしい。
漁船には全くお目にかからない。
 


市場にて

キンベのマーケットの近辺では、
市が開かれていると聞き、
最終日に繰り出す。
雨が降ったりやんだりする中、
人々の熱気に溢れた市場は楽しい。
 
   
   
     



《U》 童子達の漆黒パワー



フルーツも豊富で、
早くこの市に来られたなら、
たんまり買い込んで
毎日のデザートが充実したのだが、
午前中はダイビングで
来られなかったので残念。

知らない土地に来たら、
その地の市場に行くのが
何より生活を知る術である。
大人も子供も、
女も男もカメラを向けると
ちょっと緊張しながらも
じっと見つめてくれる。

中には、不快に思うものもいるようだが、
大方の人々は
異国のカメラマンに好意的だ。
幼い子供は正直で、カメラが恐いのか
おびえた表情を見せたり、
中には泣きだしてしまう子もいて、
そんなときはゴメンナサイだ。


一枚づつの写真を見ると、
大きな瞳の輝きの奥に、
きらきらとした子どもたちの生命力が
弾けんばかりに透けて見える。

この光は何だろう?
思わず吸い寄せられてしまう、
瞳に宿る光の強さ。歓びも、哀しさも、
羞恥心も臆病さも、
大胆な意思も或いは諦観さえも、
その瞳は雄弁に語る。

黒褐色の肌は光を吸収して、
心の隅々までも辿り着いた光が、
きっと瞳を通してその想いを全て
放出するのかもしれない。

彼らの瞳に見つめられると、
思わず
見つめ返さずにいられなくなるのは、
伝わる想いの深さに
圧倒されるからかもしれない。


何故だか知らないけれど、
次から次から出逢えたあの笑顔に、
今も心が揺すぶられ、
不思議な元気が湧いてくる。
 
   
   
   
蛍の木

出逢えてよかったもう一つの生命。
それが蛍の木。


真の闇を通り抜けないと
辿りつけないその場所。
闇の中に降り立った途端、
目の前の巨大な闇が
一斉に銀色の明滅を始める。

あまりに幻想的な美しさに、
何処にいるのかも忘れて見詰める。
数本の巨木の連なりが、
無数の光の粒で埋め尽くされ、
点滅を繰り返す。

闇と光が交互に繰り返され、
眩いばかりの煌めきの一瞬。
一つ一つは
小さな光なのかもしれないが、
意外にも明るく、
小さなサーチライトを
照らしたかのように、
白銀の光が一瞬眩しい。

想像を遥かに越えた
圧倒的な美しさで、
闇と光がこれほど見事に
くっきりと描かれる情景はないだろう。


カスタネットを思わせる蛙の合唱と、
鈴虫の高らかな音色。
自然が奏でる素晴らしい
メロディーと響き合いながら
光と闇の交歓が繰り広げられる。

小さな命の粒が何千何万と群れ
創り上げた光の大樹。
その生命の木との奇跡的な出逢いは、
<永遠の旅人>であることを
約束されたような気がしている。





《V》 母と乳飲み子のバラード


母子の絆

世界中のどこでも
変わらぬ強い絆
それが母と子の姿だろう。

アフリカやアジアなどの
国々と同じように、
この国の母達も肩から吊る
一枚布の抱っこ紐に
すっぽりと赤子を入れて、
前抱っこをしている。

日本でも近年スリングと呼ばれて、
この抱っこ紐は
若い母親に支持されている。
助産師をしている友人が
何年もかかって
改良を重ね販売にこぎつけた
手作りの抱っこ紐は、
特別優れもので、
赤ん坊が安心して良く眠る。


この地でも、
母の胸に抱かれた
赤ん坊の無条件に委ねられた寝顔の
なんと寛いだ表情か。

命を丸ごと託された母親の
満ち足りた大きな豊かさと力強さが、
なんともいい笑顔となって
カメラに収められる。
 

   
     




     
 

どの母親もカメラを向けると、
とても嬉しそうに
我が子を掲げ見せてくれる。
異国の人間にこんなに無防備に
子どもを写させてくれる人々は、
今まで経験したことのない雰囲気だ。

おまけに彼らは写真にうつされると
嬉しそうに
「サンキュー」とお礼の言葉を言う。

辺境の地を訪れるたびに、
カメラを向けると
怒鳴り声で阻止されたり、
逃げられたり、
さもなければ金品を無心されるような
体験が多かったのに、
この地の人々は
実に明るく開放的なのだ。


子どもの方は
レンズを向けると本能的な
恐怖を感じるのか、
驚きや不安や時には怯えで
母親にしがみつく。
母も子もカメラずれしていないのだ。
だからこそ
一枚一枚の写真の母子は、
それぞれに活き活きとした瞬時の
表情を見せている。

よく見ると、どの親子も
「ああ、
DNAが一緒なんだね!」って
納得してしまうから不思議だ。
何枚並べても、
見飽きることがないね。

 
 
   
   
   
     




《C》 ぱぷあ人の生活

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