その80の3ー2012年文月 |
7月4週・・・追悼の白馬主稜
《A》 真夏の雪に遊ぶ
白馬雪渓上部の急斜面 7月25日 |
こう暑くちゃ堪らん! 下界は連日猛暑日 7月25日(水) 曇時々雨 《されば雪山に行くべし》 とばかりやって来たのは北アルプスの 白馬大雪渓。 ・ 「アイゼンはありますか?」 と登山計画書を提出したら長野県警の 山岳警備隊に訊かれた。 「いいえ、持ってません」 「そこにありますので持っていくよう お勧めします」 ・ テーブルの横に並べ売られている 1組千円の簡易アイゼンを観て唖然! 鉄板を折り曲げただけの実にちゃちな 2本爪アイゼンで 爪の先が2つに割れている。 紐の固定が不安定で直ぐ外れそう。 ・ 「こりゃ酷いね。 こんなもんに頼って雪渓を登ったら 不意に外れたり躓いたりして 事故の元だね。 ほらよーく観てご覧よ」 ・ 「はあー・・・・・」 と答えたまま警備隊員はしばし無言。 そんな訳でアイゼン無しで 無謀にも真夏の白馬大雪渓を それも人の入らぬ稜線直下の急雪面を 山荘仙人は登り出したのです。 ・ 稜線を歩いていた登山者が 見るに見かねて叫ぶではありませんか! 「危ないですよ」 |
雪や氷の斜面が 如何に危険であるか 最も良く知っているのは冬のアルプスや ヒマラヤを自らの テリトリーとし駆け巡っている岳人です。 ・ その人達は安易にアイゼン等使わず 先ず歩いて雪や氷の感触を確かめ 靴で蹴り込みステップを刻み より難しい下降を想定し このまま登り続けるか否かを決めます。 ・ その大切な部分をカットし 最初から安直なアイゼンに頼ってしまうと 真の危険を察知出来ぬまま より高みへと突き進んでしまうのです。 アイゼンが外れた時 或いは急斜面の下降を余儀なくされた時 初めて自らの力量を超えた 危険域に来てしまったと気づくのです。 ・ そう、確かに危ないのです。 親切にアイゼンを勧めてくれたり 稜線から声をかけてくれたりして 本当にありがとう。 ・ でもアイゼンが無くとも雪の斜面が急でも 今にも巨大な雪氷塊が 崩れそうでも 仙人に心配は無用かな。 ・ 仙人は本当の危険が どうゆうものか よーく知っているのかも 知れませんよ。 |
葱平の氷裂・シュルンド(Schrunde) 7月25日 (遠くて小さすぎるので人物のみ拡大:実際はこの5分の1) |
稜線直下・後方は杓子岳(2812m) 7月25日 |
若き日の仙人 |
白馬稜線・馬の背直下(2932m近く) 7月25日 |
大雪渓下部 (白馬尻小屋上) |
大雪渓上部 (葱平) |
大雪渓中部 (2000m付近) |
杓子岳の沢 (追上沢) |
夏雪の感触が懐かしい。 氷河の末端の氷のように唯堅い だけではなく 氷河中部の堅い氷の上に 新雪が乗って シャーベットになった状態でもなく。 ・ そうか、氷河に憧れて 氷河になりたくて でも山が小さくて低すぎて 氷河には成れない少年の哀しみを 湛えているんだ夏雪は。 ・ 随分ご無沙汰してました。 ここ30数年間、夏は ヒマラヤに通い続けすっかり 日本アルプスの夏雪を 忘れていましたが 中々いいもんですね。 ・ 黒く縁取られたスプーンカットの雪の 翳りに少年の哀しみが 潜んでいたなんて 夏のアルプスを駆け巡っていた 高校時代には 全く気づきませんでしたね。 その黒い翳りこそが 私自身だったのかも・・・なんて 思ってもみませんでした。 |
杓子岳天狗菱 (2200m) |
氷裂・シュルンド(Schrunde) (2200m) |
稜線直下 (2400m) |
白馬山頂直下の巨大雪庇を超えて 1990年3月27日(火) 晴 マイナス19度 大雪渓を登りながら 右に聳える岩稜を見上げる。 ヒマラヤのトレーニングで 登った主稜が迫る。 雪と氷を纏った冬の主稜しか知らぬ 仙人にとって黒々とした 夏の主稜は全くの別人に見える。 ・ お前の素顔を初めて見たぞ! 何だかやけにむさ苦しくて とても冬の容姿からは 想像も出来ないな。 ・ ほら22年前の山頂直下から 見下ろした冬の主稜を見てごらん。 どうだい、実に惚れ惚れする 凛とした気品を湛えているだろう。 あの優美な純白のレースの上に 一歩一歩ラッセルを切って 雪庇の崩壊に怯えながら頂を目指す 登攀者の荒い息遣いが 聴こえてこないかい?。 |
白馬岳主稜を登攀する故・中島修(28歳) (撮影:坂原忠清45歳) この写真、実は山荘の化粧室の壁に飾ってあるんだ。 修はその5ヵ月後の8月に人喰い山と恐れられていたヒマラヤの ナンガ・パルバット(8126m)の登攀中に山頂直下で死んでしまった。 情熱的で男らしい修が 忘れられなくて仙人が飾ったんだ。 |
白馬岳の山頂は東側が すっぱり切れ落ちているだろう。 その下が主稜の登攀終了点なんだ。 冬はその絶壁に2m以上もの 雪庇が張り出して それを乗越えない限り白馬山頂には 出られないんだよ。 ・ 右に丸くカーブを描いている 雪壁が見えるだろう。 そいつがピッケルで刳り貫いた雪庇さ。 こうして頭上に被さる巨大雪庇を 越えてやっと頂に 跳び出した瞬間の 気持ちを想像してみて。 |
山荘化粧室の《白馬主稜》 |
《B》 My まっぷ・・・ルート&コースタイム
コースタイム 2台のカメラを用いて3日間で 約500枚の撮影を行った。 撮影をしながらの行動なので実働時間はもっと短い。 7月24日(火)14:30山荘発 →行動食の買い出し→東山梨15:24発 →白馬19:34着→Pロケーション20時着・・・・・ 7月27日(金)温泉入浴後 →神城15:50発→東山梨20:54着→山荘21:15着 実施日:7月25日(水) 曇時々雨 夕方晴
7月26日(木) 晴風強し
7月27日(金) 晴
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7月25日(水) 曇時々雨 夕方晴 猿倉→白馬岳 雨がぱらつき風も冷たく雪渓上では 少し留まると寒い。 葱平では10歳の女の子に逢う。 両手を翼のように後に延し すっかり鳥になりきってカメラに向かう、 さり気ないポーズが 実に可愛らしい。 思わず見とれてしまった。 ・ 夕刻には激しく雲が流れ 白馬山頂では壮大な夕焼けが展開。 4月に登った剣岳が 黒部の深い谷の遙か彼方に聳える。 |
7月26日(木) 晴風強し 白馬岳→唐松岳 風速15m以上の北西風に終日煽られる。 オーバーズボンを穿いて ゴアのウインドヤッケを着てフードを被り それでも寒くて震える。 下界は渺茫たる一面の雲海。 ・ 鑓の山頂では朽ちて倒れた標識を よいこらしょと頂まで運び上げ どうにか山頂写真を撮ったものの 北西風が収まらず早々に下山。 不帰越えでは東面に出ると暑くなり 西面に出ると北西風に直撃され その都度ヤッケを着たり脱いだり・・・・ |
7月27日(金) 晴 唐松岳→五龍岳→遠見尾根 風がやや収まり穿いていたオーバーズボンを 途中で脱ぎやっと夏山らしい気分。 五龍山頂に人影無し。40分ものんびり朝寝。 単独の中高年がやって来て 頂上標識に手をやり 「35年ぶりの五龍です。あの時 僕は20歳でした」 といって感激していた。 ・ 下山で遠見尾根に入るや突如として 山はサウナ風呂に変身。 暑いのなんの汗がぶわーっと噴き出す。 こりゃ下界は暑熱地獄だぞ! |
《C》 岩との戯れ・・・手術後も挑戦を続ける村上・不帰ノ嶮から五龍へ
天気図とにらっめっこの末、一日予定をずらして7月24日火曜日の出発。 JRの乗り継ぎを繰り返し安曇野を走り抜け、仁科三湖の畔を走り、白馬駅に到着。 翌朝ペンションのオーナー夫婦が猿倉まで車を出してくれたので、 猿倉を5時50分に出発できた。既に、猿倉山荘の周りは登山者の姿がかなり見られる。 「こんなアイゼンじゃ、却って危ない!事故を起こすよ。」 隊長が呆れたように指さして見せた簡易アイゼンは、千円で売り出されていて、多くの人が此処でそのアイゼンを買っていくらしい。 先に歩きだした隊長の後を追いかけようとしたら、「あの人はヒマラヤに行っている教員登山隊の人ですよね?」と、 アイゼンの横の椅子に座っている山岳警備隊員に声をかけられた。 「えっ?ご存じなんですか?」「以前、パキスタンで遇いました」。思わず「すみません、口が悪くて・・」何で私が謝んだろう・・・。 |
手術後の脚で登れるかしら? 7月26日 (不帰2峰の登り) |
不帰2峰を超えて 7月26日(木) 晴、風強し その7 天狗の大下りと呼ばれる、標高差300mを 一気に降る急な下りでは、 慎重に下らなければならないので急速に隊長との差が開く。 どうしても、下りになると膝の違和感が気になり、 必要以上に慎重になってしまいがちだ。 ・ 所どころザレた細かい岩屑が続く場所では、 ことに滑らないよう気を使う。 神経を張り詰めるので、こういう下山が続くと結構疲れる。 下り終わると、右膝がガチガチに硬くなっているのを感じる。 隊長は要所要所で、私の安全を確認するため待っていてくれる。 それもまた、自分のペースでないので疲れるだろうなと、 申し訳ないが、焦ってけがをする事態は避けなければ いけないので、慌てないで行動する。 ・ 後に隊長からは、「あれ以上ゆっくりは歩けない」と 言われるほどのスローペースである。不帰のキレットに到着。 ここから不帰T峰、U峰の岩壁が待っている。 T峰の鞍部からU峰へがこのコースの核心部になるらしい。 気持ちを引き締め、無事に通過できるよう頑張ろう。 ← |
目の前に聳える垂直の岩壁に 取り付くと自然と 闘志がわいてくるようで、 緊張感はあるがなんだか ワクワクしてきて楽しくなってくる。 危険な個所には鎖が取り付けられ、 岩自体もしかっりした岩で ホールドもスタンスも豊富なので、 実際に登りだすと不安はない。 今、このルートを楽しめるのは、 かつて岩を攀じ、重い荷を背負い、 あらゆる山行を体験した経験が あればこそだろう。 ・ 膝の骨折という 思いがけないアクシデントにも かかわらず、 再び夏の北アルプスの 難コース(と言われてる)に 挑めるのは、 過去の蓄積があればこそだ。 振り返れば、 半端ではない難コースも 幾つも経験させて貰い、 冬の岩場も夏のチベットの未踏峰も、 この足で攀じ歩き続けて 来たのだということを、 不思議な物語のように思い出す。 → 岩壁上の不帰標識 |
冬の壁と比べれば楽ね!? 7月26日 (この鎖、頼れるの?) |
不帰2峰南峰 人生は 思いがけないことの連続だ。 夢は抱き続ければ いつか叶う。けれどもまた、 人生は躊躇っているうちに 終わってしまうほど短い。 夢は、叶えるための 努力を惜しめば、 シャボン玉のように 消えてしまうものだろう。 夢は叶ったのだろうか? 夢の後に続く人生を 人はどう生きていくのだろうか? ・ 岩を攀じていく間は 目の前の岩のことしか 考えないので、 心は空っぽだと言ってもよい。 安全地帯を歩く時、 無意識の中でさまざまな 想いが去来して、 湧いては消える霧のように、 自分の中の山顛を 表したり隠したりしているような 気になる。 ・ 冬の不帰の嶮しか知らないので、 夏道がこんな姿をしてるとはと、 何度も感慨深げに語る 隊長の言葉に、夏のこの道は たいした危険はないが、 厳冬期ならばどれほどの 難所かと想像してみる。 しかも、冬山縦走となれば どれほどの荷を担いで、 凍った岩壁を 攀じるのだろうかと、 想像するだけで 息苦しくなる。 |
雪の壁も攀じたことがあるだけに、その苛酷な世界が いかに厳しく困難な世界かを想像できる。 鎖に頼りすぎないようにしっかりと岩の感触を掴み、 一気に体を伸びあがらせ岩を攀じていく感覚は気持ち良い。 子供のように一つのことに心身ともに無我夢中になる瞬間というのは、 下界の日常にそうあるものではない。 ・ まして、この年齢になれば分別が先立つ。岩の上にあるときは、 まさしく子供のように無我夢中の時間が得られる。 空中に水平に架けられた鉄梯子アングルの橋を渡り、 鎖場、梯子をいくつか通過して気が付けばU峰の北峰へ到着。 これで、難所は通過したのだとやはり気が楽になる。 壁の西側と東側では暑さが全く違い、上着を脱いだり、着たり忙しい。 ・ 不帰V峰は山頂は通らず、そのまま唐松岳の山頂へと登っていく。 山頂では40分も待っていてくれた隊長と再会。 今までの登りとは打って変わって、山頂には入れ替わり立ち替わり 登ってくる人で溢れている。 山頂を十分楽しんで、下山にかかると 今日の宿泊地唐松山荘の赤い屋根が真下に見えた。 |
高度感抜群! 7月26日 (山稜に渦巻くガス) |
不帰2峰を登攀する村上 7月26日 |
本日の行動時間は約9時間。 天狗山荘から不帰キレットを越えて 唐松岳まで約5時間は、 大体コースタイムと同じくらいなので、 大幅に時間がかかったわけではないと、 少しばかり安堵した。 ・ 目の前に大きく聳える五竜岳の 堂々とした山容に向かい、 明日はその頂に きっと登れるだろうと決意する。 唐松山荘前からは、 剣岳の格好の展望台になる。 何処から見ても、 惚れ惚れする山容を見せる 北アルプスの雄であるが、 この場所からの眺望は 特等席となる。 昨日ほどダイナミックではないが、 山小屋の前に出て、 沈みゆく夕陽のさまを眺める贅沢な 一時を過ごし、 早々に眠りに就いた。 |
その6 5月の大量遭難があったのも この山稜だった。 三国境からゆっくり引き返す。 途中の砂礫の斜面にはピンクの 駒草が咲き乱れ、 風に細かく揺れている。 小さな妖精たちが 囁き合っているかのようだ。 ・ 20メートルほど下の雪渓の縁まで 降りて写真を撮っていると、 稜線を登ってきた女性グループから 大きな声で 「危ないことして、非常識な!」と 鬼の首を取ったように 非難する声が聴こえてくる。 超高齢者にしろ、 ルールにうるさいおばさまがたにしろ、 3000mの山上で何が正しく、 何が常識なのか考えさせられてしまう。 14時には白馬山荘に戻ってきたので、 夕食までたっぷり時間がある。 昼寝でもしようかと思ったが、 此処の展望レストランは 素晴らしい眺望の上に、 室内もおしゃれな空間で居心地満点。 ・ 窓際に陣取って乾杯したあとは、 壮大な窓の外の景観に 時間の経つのも忘れて過ごした。 |
五龍岳山頂直下の岩壁を下降する村上 7月27日 |
迫りくる夜明け 7月27日 (唐松岳から五龍岳への稜線) |
夜明けの岩稜に遊ぶ 7月28日(金) 晴 広い食堂で第一陣の夕食を済ませ、 夕暮れの大展望を堪能しに表に出る。 山小屋の少し上に登ると、赤く染まり始めた雲と霧が早い流れで、雲海を成す。 東の雲海を虹色が染め、一瞬ブロッケン現象が現れる。 慌ててシャッターを押すが、なかなか上手く捉えられない。 白馬岳の東の谷から昇ってくる霧が岩壁に押し戻され、 山頂を隠したり見せたりしている。 ・ 小屋の前に戻り、染まり始めた雲の峰を眺めていると、 山小屋の守人のような年配者が夕景を見ようと集まっている人々に 山並みの説明を始めてくれた。 雲の緞帳が一瞬開かれると、 空と雲の絨毯の合間にすっくと聳える剣岳が現れた。 思わず、あちこちで歓声が上がる。 雲は払われ、茜色の空の中に日本アルプスの秀麗な峰々が シルエットとして浮かび上がる。 ← |
風の伯爵夫人(contessa del
vento)が 茜色に染め上げられた優美な ドレスを翻らせ、中空で嫣然と微笑む。 まるで壮麗なシンフォニーが 奏でられるかのごとき、ダイナミックな 雲の動きと光の変化が、 否応もなく心を高ぶらせる。 ・ 大自然に招待され、素晴らしき舞踏会に 参加した少女のように、興奮する。 少しずつ深みを増していく夕焼けの空を 飽きることなく眺め続け、 太陽がゆっくりと旭岳へと沈みゆくのを 見届けるまで、立ち尽くしていた。 ・ 期せずして、最高に贅沢な山頂の 夕焼けショーを楽しめた。 ・ 4時起床。行動食から選んで 朝食を済ませ、4時40分、山小屋を出発。 → |
紅く染まる岩稜 7月27日 (夜明けの瞬間) |
予想以上に天気は良さそうだが、 風がかなり強い上に寒い。 隊長がオーバーズボンを 穿くために止まる。 少し先の地点で振り返ると、 まさに今朝日が 白馬岳の山腹から顔を 出そうとしている。 ・ 眼下を埋め尽くす灰白色の 雲海を薔薇色に染め変え、 光の散乱が始まる。 青灰色と朱鷺色の雲の海の中に、 小さな孤島のように山頂だけを 浮かべ2千m級の山々が 浮かぶ。 夜と昼が入れ替わるこの 僅かな時間が 生み出す幻想的で ドラマチックに変化する 光のドラマが、 観る者の心の奥深くに刻まれる。 ・ 何度出逢っても、 このダイナミックな 世界の変化を体感できる、 夜から朝へ、朝から夜へと地球が 動いている時間の狭間が 特別に好きである。 |
昨夜の夕焼け、今朝の朝やけそれらと共にあることだけで、 生きていてよかったなと単純に歓びが込み上げてくる。 この歓びは、何度繰り返しても、幾つ歳を重ねても自分の中で変わらず 湧きおこる歓びであることが不思議に思える。 と同時に、自然が与えてくれる真の歓びとは、 人知を超える大きさ深さがあるのだと、尽きぬ泉に感謝する。 朝日が昇るとたちまち空の色は澄んだ青色となり、 山肌も夏の盛りの荒々しい岩の色を表す。 ・ 冷たい風に煽られながら、一歩ずつ登って、 やがて白馬鑓が岳の山頂へ7時前に到着。 写真を撮ったり、腹ごしらえをしたりで30分ほどを山頂で過ごす。 夏山とは思えぬ風の冷たさで、日向を選んで座っても手が悴みそうで、寒い。 前後して歩いてきた二人連れの男女は、腹ごしらえの後少し先に出発したが、 彼らとは最終日、五竜岳の山頂直下で声を掛けられ、 ずっと同じルートを歩いてきたので親しみを持ったようだ。 我々は五竜から下ったが、彼らは鹿島槍へ縦走を続けるとのことで、若さの力だ。 天狗の小屋を目指して岩屑の多い道を下り始めると、 白馬山荘から同じ頃出発してきた中年の夫婦連れが、 鑓温泉への分岐道へ下山して行った。 ・ 途中で追い抜いて行った単独行の若者は、 「おんなじ方向ですね。また会えるかもしれませんね。頑張って下さい」と 明るい声で挨拶してくれた。 昨日の大雪渓とは違い、この稜線は登山者がずっと少ないので、 夏山を独占気分で歩ける。 |
炸裂する光の中で 7月27日 (大黒の稜線) |
衣笠草 キヌガサソウ (白馬尻) |
《D》 清冽な彩を放つ花々・・・雪や岩に映える高山植物 | 衣笠草 (白馬尻) |
雪渓横に咲く小鬼百合 7月25日 コオニユリ(葱平) |
小さな雪渓を横切り、天狗山荘に到着。 池があり、高山植物も豊富で、 こじんまりして 居心地の良さそうな小屋である。 ここなら混むことも無さそうだ。 ただし、ここで停滞するには時間が 早すぎてもったいない。 ・ 看板が出ていて、唐松方面へは 11時までには出発するよう注意書きが 記されている。 我々は8時15分に此処を発つ。 此処から先は岩場が待ち受け、 約4時間近く緊張を強いられる。 途中で逃げ道はない訳だから、 自分の体調を確認しながら、 覚悟をして出発。 ・ 天狗の頭まで順調に歩く。 途中で出会った唐松岳方向から来た人に、 前の方には登山者あまりいないのでは、 と尋ねたところ、 「かなり先行して結構いますよ」との答え。 天狗山荘に宿泊した人たちが、 既にだいぶ先を登っているらしい。 |
その2 ところで大雪渓を登っている間に出逢った多くの登山者が、 総てみなアイゼンを履いていたが、 半分近くはあの簡易アイゼンだったに違いないと思う。 実際には、この時期の雪渓上はアイゼンなしで楽に歩ける。 初心者ならばいざ知らず、誰も彼もアイゼンというのは、 安全優先とはいえ、不自然な気がした。 原生林の森をのんびりと歩きだす。 ・ 空模様は思ったより悪いが、降り出してもいない。 かなり雲が多そうなので、途中で降られることも覚悟する。 きぬがさ草の白い花が、見事に群れていて写真を撮りながら登る。 約1時間で白馬尻小屋に着くと、既に大勢の人がいる。 平日であってもシーズンたけなわである。 この小屋は冬場は雪崩にやられるので、 解体して夏場だけの存在だそうだ。 ・ 雪渓の取り付きでアイゼンを装着している人々の間を抜け、 雪渓に入る。 ベンガラの赤い筋が登山道となっているが、 既に多くの人に踏まれた道は黒ずんでいる。 比較的早い時間なのに、 もう見渡せる限り上の方まで登山者がいる。 雪渓上は涼しい風が渡り、汗もあまりかくことなく快適に登れる。 |
猩猩袴 7月27日 ショウジョウバカマ(遠見尾根の雪渓横) |
深山大文字草 7月27日 ミヤマダイモンジソウ(遠見尾根) |
写真を撮りながら、夏の雪の感触を楽しんで歩く。 20数年前に初めて雪渓を踏んだ時、実はがっかりした。 冬の純白の雪のイメージが強かったので、なんて薄汚れてしまった 雪なんだろうかとちょっと悲しかった。 ・ だが、今は雪渓が冬の雪とは違う時間の堆積物であり、 歴史であることを知っている。三角の黒い波がしらを立てたような スプーンカット状の雪が何処までも続く雪渓は、 冬の純白の雪とは異なる美しさを持つ。 両側の岩壁は荒々しい姿を見せ、白馬大雪渓はその長さ 3,5kmにも及び、標高差は600mにもなる。 雪渓上に大小様々の落石があるが、その一部に<落石です> という看板が付けられているのが滑稽だった。 |
その4 腕がバンバンになってしまうそうだ。 山荘に飾ってあるナンガに眠る中島修さんの写真は 丁度ここから撮ったとのこと。 冬合宿に参加していた成田泰樹さんが、主稜を登りきった時 「今年のナンガに参加するか?」と誘われ 見せた興奮と緊張の表情を語る隊長。 ・ 人を拒絶する冬山で、若い命の血を滾らせた彼らは、 短い人生を駆け抜けた。 しかし、人間の寿命の何十年かの違いなど、 実際にはほんの僅かの違いに過ぎないのだと、 大きな自然は告げる。生の意味は、時間の長さにあるのではない。 どれほど深く生きるかが問われる。 短い夏を精一杯の美しさで咲き切って見せる高嶺の花達が愛おしい。 小蓮華山方面から登ってくる登山者とすれ違いながら、 三国境まで行ってみる。 ・ 途中であった若者たちは成城学園中学の生徒たちだった。 「あとどれくらいですか?」の声に「ほら、あそこにもう頂上が見えてるぞ」と 教えると、急に顔が輝いて「ありがとうございます!」と 元気に歩きだす男子生徒。 「もう少しだから、がんばって」と励ましても、顔も上げられない女子生徒もいるが、 中学生達は良く頑張って登ってきた。 引率の先生達もご苦労さん。 |
駒草 7月27日 コマクサ(白馬岳の馬の背稜線) |
深山苧環 ミヤマオダマキ(白馬葱平) |
白山一花 ハクサンイチゲ(白馬葱平) |
高嶺爪草 タカネツメクサ(白馬岳の馬の背) |
高嶺塩釜 タカネシオガマ(白馬岳の馬の背) |
その3 葱平まで約2時間かけて登り着く。 夏休みでもあるので 親子連れ登山者も結構いる。 小学5年くらいの女の子が、 途中で写真を撮られる時、 いきなり両手を 大きく翼のように広げ 満面の笑顔でポーズを決めた。 ・ 隊長が思わず「いいねー!」 と声をかける。 ちょっとはにかんだ女の子も父親も 嬉しそうに笑った。 この少女もいつの日か 真っ白な雪山に憧れて ピッケルを手に 白馬に戻ってくるかもしれない。 高山植物の 宝庫でもある白馬岳、 今が花の盛りでもあり 次々に目を楽しませてくれる。 ・ 特に、ミヤマオダマキの 青紫の花が心に しみわたる清々しい美しさだ。 ミヤマキンポウゲや シナノキンバイ等の 黄色い花は 草の緑に映え 一層の鮮やかさだ。 チングルマや ハクサンイチゲの 白い清楚な花。 オレンジの百合の花も 華やかさに惹かれる。 ・ 写真を撮りながら、 ゆっくり登り、 12時に白馬山荘に到着。 ここは800人も収容できる 大山荘である。 一足先に到着した隊長が 既に宿泊手続きをしてくれて、 2階の大部屋、畳1畳分が 今夜の寝床になる。 ・ 本日の客数は 360人ほどとのことで、 使われない部屋が何室かあった。 満員の時はもっとぎっしり 詰め込まれるのだろうが、幸い ゆったり余裕があり、 夜もよく寝られたので 助かった。 余分な荷物を小屋に置いて、 さっそく 白馬岳山頂へ向かう。 ・ 白馬 山頂には石造りの立派な 展望指表盤があり、 360度の大眺望ではあるが、 湧き出る霧と雲に阻まれ遠望は 隠されてしまったが、爽快である。 切り立った岩壁を覗き込むと足が竦む。 冬の白馬主稜を登攀して この岩壁に出る時、 2mも張り出した雪庇を 切り崩しながら登ると云う。 その5 思わず大丈夫かと 心配になるほどの高齢者の集団が 登ってきたのには驚かされた。 元気そうな人が差し出すストックに しがみつくようにして 掴まりながら、 後続の人の足元はよろついて見える。 いくら夏山と言っても北アルプスの 3000m近い高山だ。 人の事は言えないが、 無事に下山できることを祈るのみ。 山をこよなく愛し、 山の素晴らしさも恐ろしさも 知りつくしてる隊長が 「あれ(高齢で集団登山すること)は、 してはいけないことだ」と 苦い顔を見せた。 |
這松の実 ハエマツノミ(天狗の頭稜線) |
白山石楠花 ハクサンシャクナゲ(不帰キレット) |
姫石楠花 ヒメシャクナゲ(白岳) |
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深山沙参 ミヤマシャジン(五龍岳稜線) |
立山靫草 タテヤマウツボグサ(遠見尾根) |
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兎菊 ウサギギク(大遠見) |
信濃金杯 シナノキンバイ(大遠見) |
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御蓼 オンタデ(中遠見) |
日光黄菅 ニッコウキスゲ(遠見尾根の地蔵頭) |
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猩猩袴 ショウジョウバカマ(遠見尾根の雪渓横) |
高嶺撫子 タカネナデシコ(遠見尾根の地蔵頭) |
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稚児車 チングルマ(中遠見) |
小鬼百合 コオニユリ(葱平) |
白い岩鏡 イワカガミ(遠見地蔵の頭) |
薔薇に染まる雲海・台形を成す乙妻山、高妻山からの光(台形の右:戸隠) 7月26日(杓子岳への稜線から) |
外は寒いのに暑くて眠れない。 狭い山小屋に ぎっしり人を詰め込んでいるので 一人ひとりの体温が 互いに伝わり暑苦しいのだ。 ・ 夜明け前の4時に起床し 山荘で焼いてきた手製パンとカレーを 取り出し小屋より1時間以上も 早い朝食タイムとする。 山小屋での朝食時間は5時過ぎで 遅すぎるのだ。 ・ 夏の午後は雷タイムであり 遅くても1時までには行動を終えないと 遮るものの無い3千mの稜線では 暫し命取りになる。 明るくなると同時の出発が望ましいが それには余りにも 山小屋の食事は遅すぎるのである。 ・ スライスせず1斤丸ごとの人参パンを 手で千切りタッパに入れてきた カレーを付けて食べる。 寝起き直後の朝食は食欲が湧かない。 しかし食べずに出発すると 力が出ず直ぐばててしまうしその後の 大キジを山稜で打たねば ならなくなり環境保全からも好ましくない。 ・ そこで起床直後でも充分食べられる 食欲をそそる美味しい行動食が 課題となるがそれが この山荘特製パンとカレーなのだ。 ミルクとマーガリン、砂糖を 多めに入れて焼いた人参パンは そのまま食べても美味しいが これにじっくり煮込んだカレーを付けると 食欲なくても幾らでも 食べられるのだ。 |
日輪への祈り (白馬山荘) |
白馬岳主稜の夜明け 7月26日(杓子岳への稜線から) |
旭岳に沈む夕陽 (白馬山荘) |
さてこの美味なる特製朝食をとって 冬用のやや厚めの ズボンを穿いて外に出ると北西風が 日本海からびゅーびゅー。 なーに幾ら吹いても高々真夏の風 大したことはあるまい。 山小屋の熱気を冷ますのに 丁度いいとばかり 白馬岳から杓子岳に向かう。 ・ 灰と蒼を浮かび上がらせ 黒を織り込んだ渺々たる雲海が 僅かに朱を滲ませたかと思った次の瞬間、 燎原の火の如く燃えだした。 それまで唯暗く寒く 如何なる希望も見出せなかった雲海が 天地開闢の壮大な叙事詩を 高らかに詠い始める。 ・ 北西風が調子に乗って びゅるるん、びゅるるんとハモりゃがって 寒いの何の。 急いでオーバーズボンを穿き フードを深く被り毛のミトンに換える。 真夏の日本の晴れた山で オーバーズボンを穿いて寒さに震えたのは 初めてのような気がする。 ・ 振り返ると 今正に漆黒の白馬岳主稜から日輪が 厳かに現れ居出て 新たな生命の時を告げる。 ・ 45億年も繰り返されたこの儀式によって 今、私は此処に居るのだ。 |
燃ゆる白馬大雪渓 7月26日(杓子岳への稜線から) |
大黒岳の払暁 7月27日(五龍岳への稜線から) |
火打山上の朝日 7月26日(杓子岳への稜線から) |
あれ!立山は何処へ いっちまったんだ。 と一瞬思ってしまった程に どう観ても立山より剣岳の方が 高く観える。 立山の大汝が3015mで剣岳が 2998m、その差17m。 僅かに立山が高いのだが下の写真でも 風格も高さも剣岳が 遙かに勝っているではないか。 |
雪に覆われた4月に 雷鳥と戯れながら登った剣岳が かくも雄々しい姿を見せてくれるとは。 ・ そうだった。 すっかり忘れていたが 黒部の大峡谷を挟んで 白馬岳からはやや遠く唐松岳では 真正面に剣は いつもその雄姿を見せていたのだ。 後立山連峰は剣岳を 観る為の展望台であったんだ。 |
夕照の鐘と剣岳遠望 7月26日(唐松山荘から) |
夕映えの剣岳 7月26日(唐松山荘から) |
《F》 天空のプロムナード
遙かなり天空のプロムナード 7月27日(五龍山頂から) |
出発点であった白馬岳の山頂が眼を凝らすと遙か彼方に小さく、小さく見える。 あーその小ささが何と、いとおしいことか! あの小さな頂から天空のプロムナードの一歩をあゆみ始め、3千mの稜線を逍遥しつつ 清冽な彩を放つ花々を愉しみ岩や雪に遊び、雲海を薔薇色に染める日輪を愛で遂に此処までやって来たのだ。 文明によって退化しつつあるとは云え人間の脚も満更捨てたもんじゃないぜ! |
大雪渓を染める曙光 7月26日(白馬稜線から) |
白馬主稜に掛る夕霧 7月25日(白馬岳頂稜から) |
その8 村上映子 昨日より5分早く4時35分に山小屋を出発。昨夜は狭い2段ベッドの上段で、重い布団が暑くて邪魔で寝苦しかった。 唐松山荘は雨水を利用しているので、水は歯磨き用も含めすべて有料。2本の飲み水を買った。 占めて600円。ご来光を見ようという人たちが、カメラを抱えて既に大勢外へ出ている。 それらの人の列を通り抜けるとき「岩場に気をつけて行って下さい」と声をかけられる。その通り直ぐに、鎖の岩場に出た。 ・ 慎重に気をつけながら、下って行くと、昇り始めた朝日が岩壁に降り注ぐ。 岩場過ぎて下り続けると樹林となり、小さな池もあり盛りの花があちらこちらに、目立たないが美しい花を咲かせている。 写真を撮りたいが遅れてしまうのも避けたいので、花はしっかり心に留めて、先を急ぐ。 早めの出発がよかったのか、ほとんど前後する人もいないので、朝の清々し空気を楽しみながら爽やかな山歩きとなる。 |
プロムナードの出発点 「ほら、此処に2m以上もの 巨大雪庇が迫り出して主稜から やって来た登攀者を頑として阻むんだ」 ・ 初めて見る雪の無い白馬山頂から ガスに包まれる主稜を 見降ろしつつ村上に語りかける。 まさか雪の無い白馬に やって来る日があるなんて夢にも 思わなかったあの ヒマラヤ遠征に明け暮れていた日々が 鮮やかに甦る。 ・ 「先ず雪庇の根元にピッケルを振るって 小さな穴を開けるんだ。 アイスバイルをアンカーにして セルフビレーをとり セカンドの修、ラストの泰樹には 雪壁にピッケルを打ち込んで二重に ジッヘルしてもらい |
白馬主稜を見下ろす 7月25日(白馬山頂にて) |
雪庇崩壊や雪崩に備えて 万全の態勢で雪庇に挑むんだけど 幾らピッケルを振るおうが 巨大雪庇はビクともしない。 腕はバンバンに凝り固まりピッケルを 持ち換えようとしても シャフトを握る指は開かなくなり 反対の手で1本づつ指を開いてやっと 持ち換えられる始末さ」 ・ 夕刻に晴れ間が広がり始め 薔薇に染まる霧を透かして主稜が 寡黙な翳を落とした。 そうだった。 冬の主稜にはいつも誰も居なかった。 まるで此の世には ザイルに繋がれた我々しか 存在しないかのような静寂に包まれ 風雪の叫びすら呑み込んで 主稜は寡黙であった。 修も泰樹も相次いでその深い寡黙に 呑み込まれてしまった。 |
旭岳の雪稜 7月25日(白馬頂より) |
白馬岳の夜明け 7月25日(丸山から) |
杓子岳と鑓ケ岳 7月25日(白馬頂より) |
プロムナード出発点 7月25日(山頂) |
あたかも修と泰樹の 熱い息吹が 深い谷から込み上げて来るかのように 薔薇色に染められた雲が 旭岳の雪稜に迫る。 ・ 薔薇の雲の中核で一際明るく輝く 繭のような光は 山に召された2人の魂にも思える。 その光は杓子や鑓を朱に染め 翌朝には再び白馬岳の彼方から昇り いつものように語りかけてくる。 ・ 「隊長!おはようございます。 ちょっと北西の風が強くて 体感温度がマイナスになってますが なーに動き出せば 直ぐ暖かくなってガンガン飛ばせますよ。 今日は鑓、不帰を超えて 唐松までですね。 一緒について行きますよ。 テン場に着いたら大いに呑みましょう」 ・ 修と泰樹はこの プロムナードの出発点で そんなにも私を待っていたのだ。 |
) 倒壊道標鑓ケ岳の頂 (右は白馬の頂) |
鑓ケ岳の頂 7月26日(右奥:富士山) |
鑓ケ岳の頂 7月26日(右:白根山 左:飯綱山) |
その9 樹林帯も抜け緩やかな登りが続くと、五竜山荘からの人たちとすれ違うようになる。 思ったよりは早く7時に五竜山荘に到着。 4時40分に唐松山荘を発ったという初老の男性が、「早く出てきて良かったです。コースタイムが2時間半となってましたが、 何とか着けました」と話しかけて来た。 ほぼ一緒だった訳だ。隊長はカメラの望遠などあるので、そのまますべてを背負って、 私は余分なものをザックから取り出し預け、 眼の前にぐっと聳え立つ五竜岳の山頂を目指す。全くの空身でストックだけついて登っている人もかなり多い。 途中でお腹が空いて力が出ないので、座り込んで行動食を食べることに。 今朝は食欲がわかず、パンを少し食べただけだったのでエネルギー切れだ。 ・ 隊長はどんどん先に登って行って、岩場の所から手を振っている。 腹ごしらえをして、元気が出たので、岩場の道を楽しみながらぐんぐん登る。山頂までずっと岩場が続き、高度感もある。 山頂に到着すると、ちょうど隊長以外は誰も居ず、360度の大パノラマの展望は申し分ない。 振り返ると、遥か遠く、たくさんの山稜の彼方に白馬岳の頂がちんまりと顔をのぞかせる。 |
南に展開する北アルプス 7月26日(鑓山頂から) |
深山苧環 |
深山苧環 |
西に展開する北アルプス 7月26日(唐松山頂から) |
天狗の大下り 7月26日(左の天狗の頭からの下り) |
剣の北方稜線望む 7月26日(不帰から) |
不帰稜線を行く 7月26日(不帰2峰手前) |
不帰2峰の岩壁 7月26日(不帰2峰) |
素晴らしき岩稜 天狗の大下りを超えて 立ち昇る雲海をバックに手を振る村上。 白い霧のスクリーンに 赤のウインドヤッケが鮮やかなので 何とか撮れないかと カメラを構えチャンスを狙うが失敗。 ・ 目の前に黒々とした不帰の岩壁が 屹立しその背景に 剣が日本海からの雲を従え 垂直にクロスする。 岩壁の下方に目をやると 遅れている村上が小さく見える。 峻険な岩稜に渦巻くガスが今にも 村上を呑み込みそう。 今度こそとカメラを構えるが 霧は這松に遮られ村上に迫らず 人影は岩場に隠れてしまう。 うーん、又駄目か! ・ 岩壁の上で暫く待っていると 岩壁の遥か彼方に 紅いヤッケが現れ確実に一歩一歩 近づいて来る。 冬期は岩壁の鎖が凍結し 氷壁の中に完全に埋め込まれ使えず アイス・クライミングを 強いられるルートである。 ・ しかし夏の今は鎖につかまって 登れば全く問題なし。 あえて鎖を使わずに登っても 初歩のクライミング技術があれば 充分愉しんで登れるルート。 村上も久々のクライミングを堪能し 嬉々として登って来る。 ・ 翌日の唐松から五龍への稜線も 実にアルペン的で ヨーデルでも歌いたくなる気分。 夜明けの光が射し昇ると 光と影が抒情詩を語り始める。 ・ 這松のスクリーンに映し出される 登山者の影、 果てしなく広がる雲海を 散歩するが如くに漂う人影。 ・ やがて高山植物の咲き乱れる 緑の稜線は再び 垂直にたちはだかる岩稜に変わり 五龍の高みへと向かう。 ・ 刻々と変貌する光と影の岩稜は 否応無しに 魂をむんずと鷲掴みにし 我々をもう1つの世界へ拉致するのだ。 Berg Heil ! (岳弥栄) |
トラバース 7月26日(不帰2峰) |
シルエット 7月27日(五龍稜線) |
雲海と人影 7月27日(五龍稜線) |
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峨峨たる山稜 7月27日(五龍稜線) |
五龍・山頂直下 7月27日(五龍稜線) |
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岳弥栄(ガクイヤサカ) 7月26日(唐松岳の頂) |
最後のピークで握手 7月27日(背景は剣) |
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大黒岳の夜明け |
鹿島鑓への途 7月27日(キレット分岐) |
妙高、火打、焼山(右から) 7月26日(鑓稜線) |
その10 あの遠い彼方から、幾つもの頂を上り下りして、この五竜の頂まで歩き続けて来たのだと、眼にしてみると、 その壮大な距離に改めて圧倒される。思わず、「人間の足は凄い!」と叫んでしまう。 途中には、深い谷があり、尖った岩があり、 荒々しい岩峰では本当にちっぽけな蟻ん子のような存在でしかない自分を感じながら、 自然の懐にいる安堵感と謙虚さも味わった。 ・ 歩いてきた道筋が、総て目の下に広がっているこの景観は他で味わうことのできない、達成感と充実感とを与えてくれ、 人間への讃歌を詠いたくなる。 朝の光が山々を、深い影の藍色と、鮮やかな緑、雪渓の白さに切り分け、快晴の空のもと、 夏のアルプスを惜しげもなく晒して見せる。 こんな雲上の素晴らしい景観を自分の瞳で見られる機会は、これから先、もう訪れることはないかもしれない。 心の中で「ありがとう、さようなら」と小さく挨拶を送りながら、一つ一つの山顛をしっかり刻みつける。 |
剣岳 7月27日 (五龍・頂より) |
不帰の嶮 7月26日 (唐松岳・頂より) |
鹿島鑓ケ岳 7月27日 (五龍・頂より) |
五龍岳 7月27日 (大黒岳より) |
山顛の相貌 何とも情けない冴えない顔。 雪と氷に覆われた不帰の嶮は 実に美しく荘厳で 心底惚れ惚れしてしまうのだが この画像はどうだ。 ・ まあ、こんな顔しか撮れないのは カメラマンの腕が悪いのだが それにしても情けない。 で、せめて剣や鑓、穂高でもと 望遠レンズに替えて 懐かしの山々を撮ってみたが どうも今一決まらない。 ・ チョンボして三脚をザックに 入れ忘れたのが 原因と云うことにして山顛諸君には 泣いてもらおうかな。 |
鑓ケ岳(右)、奥穂高(左)7月27日(五龍・頂より) |
白馬岳(右)、白馬鑓(左)7月27日(五龍・頂より) |
立山 7月27日 (五龍・頂より) |
冬の不帰の嶮 (八方尾根から) |
《G》 プロムナードのAccessory
寒風の中の出発 7月26日(丸山下) |
[1] 風雪に耐える道標 愚かな奴と道標 寒風に耐える村上の厳しい顔! そりゃそうだよね。 真夏だと云うのに寒くて堪らんとは。 でも修や泰樹の云う様に 杓子、鑓を過ぎ天狗の頭を下り 不帰に達する頃には どうにか体も温まりオーバーズボンを 脱いで行動。 ・ 不帰1峰の表示板は低くて 寝転がらないと読めないじゃんと 寝転がって観たが 黄色のベニヤ板に黒マジックで 書いたような 実にお粗末な出来。 せめて不帰2峰のようにケルンで 高くしてあげればと 思ったがそれ、誰がやるんだ? ・ 山荘3山のように陶器で焼いて 備え付けてやりたいが 国立公園だから国の許可が必要に なるんだろうな? ま、これで我慢してもらおう。 なんぞとぶつぶつ 訳の解からんことを呟いて はたと気づいた。 ・ まー云ってみれば山にとっては 道標はペンダントや イヤリングみたいなもん。 だとすると先ず山に訊いてみねば。 どうですか? こんなもんで満足してますかと 脚を上げたり手を伸ばしたり 山との会話を試みる 愚かな奴。 馬鹿は死んでも治らないとか。 |
不帰1峰 (右足の下が道標) |
不帰2北峰 (背景:剣岳) |
不帰2南峰 (背景:天狗頭) |
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天狗の頭 (後方は剣岳) |
五龍〜唐松の稜線 (背景は五龍) |
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キレットへの分岐 (五龍・頂下」) |
山への別れ下山路・遠見尾根へ (白岳・頂にて) |
サウナの如き遠見尾根 (中遠見) |
その11 負傷ばかり負ってきた我が右脚にも長い間ご苦労さんと、労いの言葉を添えよう。 それでも、もしかするとまた懲りずに、再びこれらの山頂に立つ日があるかも知れず、そんな日を夢見て、 今日のこの頂からの眺めを想い出す時間があるだろう。歩ける限り、人はそうやって、次の一歩をまた歩み出すのだから。 とにかく、人間の足は凄いんだ。暫くすると次々人が登って来て、賑やかな山頂となる。 ・ さっき下で会った初老の男性は、山頂標識をなでながら「35年ぶりです。20歳のときに来たんですよ。」と感慨深げに語る。 関西人らしい4人連れの中年女性グル―プは岩場でかなり難儀しながら登っていた人たちだ。 嬉しそうに笑いさざめきながら、何枚も写真を撮っている。 彼らとお互いにシャッターを押し合う。此処から鹿島槍を縦走できれば素晴らしいのだけど、今回は此処が終了点。 後は遠見尾根の長い長い下りが待っている。 |
雪渓避難小屋 (葱平) |
[2] ピアノまである山小屋 甘美なる午睡 飯場のような掘っ立て小屋に 長い土間が裏口まで延び 土間の両側に板の間があって 茣蓙が敷かれている。 これが我が青春時代の山小屋である。 ・ まさか白馬の山頂小屋に ピアノまで運ばれて演奏できる レストランが開業するとは 恐れ入った。 勿論、山小屋の環境汚染は問題だが ピアノは自然を汚染しないので 非難などしない。 大いに歓び登頂後は早速陣取って 窓からの壮大な景観を 愉しみながら酒盛り。 ・ 翌日不帰を超えて唐松山荘での 雲上の酒宴も贅の極み。 早朝4時からの呑まず食わずの行動で 先ず冷えたビア、次に 山荘から持参した特性ワインと しこたま呑む。 程よい肉体疲労とワインが 相乗効果を発揮し瞼がトロン。 ・ 誰も居ない山小屋で酒宴後の 甘美なる昼下がりの微睡。 まー何とも形容しがたい 肉体が宇宙に融けてしまったかのような 深ーい深ーい眠り。 あー、出来ることなら永劫に 醒めないでおくれ! それは肉体も精神も失った 甘美な透き通った《消失の法悦》。 ・ たかが山での眠りがこれ程の法悦を 齎すのであれば 永劫に覚めぬ死は如何程の法悦を 齎すのであろうか? 2人の死がそうであって欲しいと云う 儚い願いをこめて、ふと 修と泰樹の死が齎したであろう法悦の 深さに想いを寄せる。 《消失の法悦》それは宇宙への回帰。 |
白馬村営小屋 (白馬・頂より) |
白馬山荘 (後方左は頂) |
白馬山荘 (後方右は主稜) |
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眺望抜群の白馬山荘レストラン |
ピアノ演奏ありの山荘レストラン |
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天狗山荘 (窓に雪渓が映る) |
唐松山荘 (右方は牛首) |
五龍山荘 (後方は五龍) |
白馬山荘や唐松山荘、五龍山荘は いずれも稜線上に在り 狭く険しい岩稜を削り取ったりして 建てたので 何処か不自然で落ち着かない。 ・ 天狗山荘は稜線下に広がる湿原にあり 小屋のデザインも洒落ていて 自然との調和が取れている。 目の前には雪渓が広がり 小屋の周辺には雪渓の水を集めて 池塘が散在する。 思わずふらふらと引き寄せられ 泊まってみたくなる。 |
旅の終わりテレキャビンで温泉へ直行 |
古い山岳雑誌「岳人」を捲ってみると 冬のあの日の主稜登攀の 記録文が見つかった。 凍てついた池塘の畔にテントを張り テントに潜り込み ジョニ黒を雪氷で割ったオンザロックに 酔いしれたと記されている。 吹雪の襲来も気にせず 夭逝した27歳の修と24歳の泰樹と共に この天狗平で 甘く深い《消失の法悦》に浸ったのだ。 ・ そら、もう直ぐテレキャビンが温泉に着くぞ。 一風呂浴びたら久々にあの日のように 3人で大いに呑もうぜ! |