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その113の4Bー2015年 卯月 |
4月4B週・・・雪庇を超えて奥大日岳との永劫の別れ
奥大日岳のモルゲンロート 4月26日(日)快晴 仙人をちょっと拡大して・・・ヒュッテの窓から |
ナンガ・パルバット峰(8125m)からK2峰(8611m)へ 恐怖の序曲 何とも巨大な雪庇である。 キンスホッファー氷原の氷床が重力によって引き千切られ、空中に迫り出し、落下直前の カタストロフィーを剥き出しにして、雪の庇を形成しているのだ。 急峻なキンスホッファー氷原に、幕営可能な僅かな平坦部を求めるとしたら、 この巨大雪庇の上しかない。 このカタストロフィ-の上が、我々の選んだC3(キャンプ3)である。 |
奥大日岳頂稜の大きく張り出した雪庇
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雪の庇は延々と稜線に連なる |
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まるでヒマラヤじゃ! |
興奮するぜ! |
K2遠征の再現か! |
当たり前だが 日本にはヒマラヤは無い。 ヒマラヤに近い雰囲気を求めて 冬の鹿島槍北壁、 凍てつく槍穂高の岩場に通った。 残念ながら厳しさは有っても そこにヒマラヤはなかった。 ・ 日本には氷河が無いので クレバスは生じない。 しかしこの残雪期の 奥大日岳の崩壊雪庇は極めて クレバスに似ている。 つまり此処にはヒマラヤが在るのだ。 |
蘇る初登頂の記憶 |
此処に来るとベースキャンプから 氷河へのルート工作が まざまざと蘇る。 エベレストやK2等、登山隊が 集中する山では 氷河のルート工作は先行隊が行う。 後続隊は金を払い、のこのこ 後を着いていけばいいのである。 ・ だが我々のように 主にヒマラヤの未踏峰を狙う 登山隊にとって 氷河のルート工作は避けられない。 |
下降もヤバいぜ! |
この頂稜はヒマラヤそのもの |
クレバス落下もあり! |
運命の瞬間、カタストロフィー 午後3時、ヨレヨレになってテントに入り、雪を融かし1時間水を作り続け、早々と夕食をすませる。 カタストロフィーの上でとる食事は、潜在的な精神的スパイスが加味され、 如何なる高級レストランでも調理しえぬ摩訶不思議な味がする。 意識の奥でカタストロフィーが、巨大雪庇の崩壊の瞬間が、今や遅しと待っているのだ。 ・ 食後のお茶を飲んだ後、更に水分補給するため黄粉餅を摘みながら、アップルティーを飲み始めた時である。 異様な衝撃がスローモーションとなって、雪庇を震わせ、テントを揺さぶり我々の肉体を駆け抜けていった。 8月9日17時46分であった。 運命の瞬間、カタストロフィーがやってきたのだ。これで総てが終わる。 |
覆いかぶさる氷塊 4月26日(日)快晴 撮影:村上映子 |
「地震だ!」 北村が叫ぶ 私が敢えてカタストロフィーの上をテント場に選んだのは、テントの張れる緩やかな斜面が、 雪庇上しかないという理由からだけではない。 雪庇がカタストロフィーを孕んでいることは確かだが、同時にその雪庇が構造的にかなり安定していることを、 本能的に感知していたからである。 宙に張り出している限り、いつか重力の呼び声に引かれ雪庇は落下する。 その瞬間を正確に判断することは、私の能力を超えている。 ・ だが少なくともその瞬間が今でないこと、たぶん未だ10日以上はやって来ないことの判断は私にも出来る。 今この瞬間に巨大雪庇が突然崩壊することは、有り得ない筈なのだ。 ならばこの揺れ、カタストロフィーを齎す揺れの正体は何なのだ。 スロモーションの衝撃は、2度3度繰り返される。 「地震だ!」 北村が叫ぶ。やばい、雪庇が崩壊する。雪崩が発生する。これで総てが終わるのだ。 |
下降するぜ! |
先ず雪庇を砕いて! |
危うい氷稜を通過 |
危険な氷河にザイルを固定し 数日後に上部キャンプから戻ると 既に氷河は崩壊し 固定ザイルは消え去り、 困難な下降を強いられる。 ・ 崩壊氷河は氷塊が積み重なり 無数の落とし穴を 形成しているので、 ルート工作中の落下は日常茶飯事。 それらの恐ろしくも 懐かしい記憶をこの奥大日岳の 崩壊雪庇は引き出してくれる。 |
氷棚のトラバース |
雪の剣岳には登山規制があるが この奥大日岳の崩壊雪庇登攀には 今の処、規制は無い。 それはこんな危険区域を登る 阿呆は居ないからである。 ・ しかし思考の硬直した 役人や登山協会の肩書きだけの 指導者と称する連中が、 この崩壊雪庇への立ち入りを 知ったらどうなるのか? |
最後は氷壁を一気に下る 15年前にこの雪庇崩壊で2名が死亡し1億6700万円の支払を地裁から 命じられているだけに禁止令が出るのは想像に難くない。 そうなる前にさっさと撤退するに限る。さあ、これで永劫の別れじゃ! ・ 00年3月5日、文部省(現文部科学省)登山研修所が主催する大学山岳部リーダーを対象にした冬山研修会中に、大日岳山頂付近の雪庇(せっぴ)が崩落。 その上で休憩していた11人が巻き込まれ、東京都立大2年内藤三恭司(さくじ)さん(当時22)=横浜市=と神戸大2年溝上国秀さん(同20)=兵庫県尼崎市=が死亡した。 地裁は06年、「登山ルートおよび休憩場所の選定判断には過失があった」などとして国に約1億6700万円の損害賠償の支払いを命じたため |
メスナールートで雪崩れてます 「北村、外に出ろ、雪崩が襲って来ないか見て観ろ」 「右のメスナールートで2か所、雪崩れてます」 「このテントは大丈夫か?」 「たぶん雪崩は逸れると思います」 何と云う不幸だ。初めて雪庇上の高所キャンプに入った日に、よりによって地震の洗礼を受けるなんて! 堅い氷床から成るこの巨大雪庇が、この地震に耐えうるか崩壊するか、そこまでは私も考えてはいなかった。 |
雪庇を超えて奥大日岳との永劫の別れ 4月26日(日)快晴 撮影:村上映子 |
無限に長い一瞬の恐怖 雪崩の不気味な鈍い音が、スロモーションの衝撃に重なり、重低音の恐怖のシンフォニーを奏でる。 無限に長い一瞬の恐怖を与えて、カタストロフィーは去った。 我々は助かったのだ。たぶん『神の微笑み』によって。 4度目のナンガ・パルバット峰への挑戦に対して、神は恐怖の序曲を奏しつつも我々に微笑んでくれた。 神の微笑みは山巓まで我々を加護し、祝福のシンフォニーを奏でてくれるのだろうか。それとも・・・ こうして高所キャンプでの第一日目は、恐怖の序曲で幕を開けたのである。 (1993~94年の報告書・坂原隊長の記録より抜粋) |
雪庇を背景にハイ、パチリ! 4月26日(日)快晴 奥大日岳山頂 実は雪庇を登攀するより、登攀者を撮影する方が遥かに緊張し、時には危険で酷く疲れるのである。 あらゆるアングルでの撮影を自ら試み、時には登攀者から無謀な指示を受け 唯ひたすらに登攀者の影を追う村上。 恐らくメタメタに疲労困憊した村上は、頂を目前にして登頂を断念したのであろう。 ≪ごめん、村上さん!≫ |