17年前、チベットでの未踏無名峰の
初登頂に成功し
帰路、ラサからカトマンズに飛んだ。
タメル地区の雑踏にある
馴染の和食食堂で飯を食いながら
久しぶりに日本の新聞を広げる。
な、な、何と
ナンガ・パルバットでの
陽介君の写真が載っているでは!
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陽介君がナンガ・パルバット峰に
挑んだのは1990年。
8年前の写真であり、これが
頂上直下のアタックキャンプに在ったなら
中島修が撮ったものに違いない。
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撮り終わったフィルムを
最終キャンプに残し、頂上アタックに出かけ、
そのまま帰らぬ人となった中島修。
14座ある8千m峰の中でも
≪人喰い山≫と異名をとるナンガに
当登山隊は5回挑み2回敗退し、
3回登頂した。
修はこの8年前の遠征が
ナンガ・パルバット挑戦2度目であった。
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この年挑んだルートは
≪人喰い山≫の中でも最も困難な南壁を
形成する南西稜で、シェルルートと
呼ばれている。
我々が登頂した後も、このルートに
挑戦する登山隊は無く
8年後にルーマニア登山隊が挑戦し、
頂上直下でこの
陽介君のフィルムを発見し、
母国で現像し、ネットで公開したのだ。
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この日の夕刊では早くも
「米国サンノゼ在住のコンピューター技師
栗田陽介氏と判明」と
報道されているので、当登山隊の事務局か
サンノゼの陽介君自身が
新聞社と接触したのであろう。
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その4日後の8月16日には
「教員登山隊、チベットでの未踏無名峰の
初登頂に成功」と報道。
同時に当隊隊員の6度目の
ナンガ・パルバット挑戦を試みていた
大宮秀樹が滑落死との報道がなされ
カトマンズで東奔西走。