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その104ー2014年文月 |
おー!久々の太陽じゃぞ、チャンス 先ずは樋に詰まった枯葉取りから 奥庭のアンネ薔薇を山荘屋根の高みから俯瞰してみたら 紀元前13世紀の旧約聖書に記されたエジプト新王国によるユダヤ人差別、迫害から 1943年4月、ロシアのスモレンスク郊外のカチンの森で、4000名を超える ポーランド軍将校の遺体が発見されたロシアのユダヤ人虐殺までが 一望のもとに観えた。 |
入道雲モクモク |
ザイルで防墜落! |
遥かなる3千年の 時を超えて 差別と迫害を受け続け、 虐殺を 繰り返されたユダヤ人の歴史。 その歴史が 人間の本質に潜む 深奥の闇と、 何処でどう絡むのか? |
まー、先ずは天空の森から 舞い降り 雨水の流れを阻害する 樋に詰まった 枯葉を排除しながら この枯葉が 真に阻害したものは 何であったのか、 なんぞと 想いを巡らせてみようか! |
詰まってる枯葉は何処? |
そろり屋根の縁に接近 |
そんなこと つらつら考えながら、 危険な屋根上の 樋掃除なんかやったら きっとミスを仕出かして、 またまた血を見たり、 下手すれば墜落して 今度は肋骨骨折どころじゃなくて、 致命傷を負いかねないと 本人は 自覚しているのだろうか? あー、莫迦は 死んでも 治らないとはこのことか。 |
「屋根の上のヴァイオリン弾き」(Fiddler on the Roof) マルク・シャガール『音楽』 (1920年、トレチャコフ美術館蔵) |
限りなく黒い緑の顔に 猫の白目と歪められた口から覗く 白い歯が光る。 背後から迫るは ローマ皇帝ネロの虐殺の嵐か? 逃げ惑うユダヤ人の中で 唯一人とどまり 屋根の上でヴァイオリンを弾く男。 ・ ショーレム・アレイヘムの短篇 『牛乳屋テヴィエ』と ユダヤ人の不屈の魂の象徴と 捉えられたこの絵が 出逢って 生まれたのがミュージカル 『屋根の上のバイオリン弾き』。 |
繰り返されたユダヤ人迫害・虐殺の歴史 | |||||
① | BC1280年 | 旧約聖書の「出エジプト記」 | ⑤ | 1096年 | 十字軍のユダヤ人虐殺 |
② | BC0597年 | 「バビロンの捕囚」 | ⑥ | 1648年~ | 東ヨーロッパの「ポグロム」 |
➂ | 0030年 | イエス キリストのユダヤ人迫害 | ⑦ | 1933年~ | ホロコースト(ナチスのユダヤ人虐殺) |
④ | 0068年 | ローマ皇帝ネロのユダヤ人虐殺 | ⑧ | 1940年 | ロシアのカチンの森の大虐殺 |
次は梅雨晴間の布団干しじゃ! |
序にベッドもよいしょ! |
修羅ちゅうのはサンスクリット語の≪asura≫のこと? となると、帝釈天と決して勝てぬ闘いを続ける、あの永劫の敗者・阿修羅かい? 確か≪asu≫は命を表し、≪ra≫は与えるで 阿修羅は命を与える善神を意味していたんだったね。 それが又どうして、悪の権化、殺し合いを永劫に続ける闘争のシンボルとなり 人と畜生の間に追加された、六道の一つである修羅道の主となってしまったんだい? |
わおー! 布団に薔薇が咲いた この≪asura≫には 実はもう1つの意味が 内在しているんだ。 ・ 「a」と「sura」で切ってみると 「a」が否定の接頭語となり、 「sura」が「天」を表し 「天に非ざる」との、善神とは 真逆の意味に なってしまうんだよ。 ・ ≪非天≫とは 正しく、永劫に帝釈天と戦い 殺戮を繰り返す者。 つまり≪asura≫には 命を生み出す者と 殺戮を繰り返す者の意味が 同時に、何の 矛盾も無く内包されている。 ・ ほーら、 「屋根の上のヴァイオリン弾き」が 蒼ざめた暗緑の顔を しているのも 迫害、虐殺の歴史の後に 生まれたイスラエル人が 同じ虐殺を 自ら行う訳も、観えてくるような 気がしないかい! |
蔓薔薇の香りを たっぷり吸い込ませて! あー、阿修羅を どうして修羅と呼ぶかって? そりゃサンスクリット語が 中国経由で 日本にやってきたからさ。 ・ ≪asura≫を漢字で 表すと阿修羅。 処がこれでは中国人にとって 「修羅ちゃん」と云う 意味になってしまって どうも神や非天に そぐわない。 ・ つまり「阿」は幼児に付ける 接頭辞なんだ。 そこでいっその事「阿」を 取っちまえとなって それが日本に伝わって来たと 云うことらしいよ。 ・ あれ!薔薇の香りを たっぷり吸い込んだ布団の 話は何処へ 消えちまったんだい? それに阿修羅は仏教用語で ユダヤ教とは 縁もゆかりもないのでは? どうも仙人の相変わらずの 脱線には 付き合えんな! |
ぼたりと夏椿 前庭石卓 |
最後の山法師 前庭 |
君が代蘭咲き出す 中庭 |
「大体ユダヤ教って何だい? 旧約聖書を バイブルとしているんだったら キリスト教なんだろ?」 と庭の花々が あんまり興味無さそうに ひそひそ話をしているでは。 何処で聞いてきたのか 百合がユダヤ教徒の噂話を 得意げに開陳。 |
マルコポーロも満開 奥庭 |
「ベリート・ミーラーと呼ばれる あの野蛮で恐ろしい ≪割礼≫があったり、 ユダヤ人は神の祭司であって 非ユダヤ人は 労役に服するという差別性が あったり・・・・。 とにかく色んな儀式もあって 厳格に守らないと ユダヤ教徒にはなれないとか」 |
延びたぞ凌霄花(ノウゼンカズラ) 石段 |
蔓延る毒矯み(ドクダミ) 奥庭 |
彩の失せ始めた蔓薔薇 石段アーチ |
羽を見せる河原鶸(カワラヒワ)の幼鳥 「ユダヤ教では 食べてよい食物のことを一般に コーシェルと呼んでいるんだけど これは レビ記11章に 詳しく述べられているんだよ。 ・ ≪子山羊を、 その母の乳で煮てはならない≫とあって それが拡大解釈され 乳製品と肉は一緒に食べてはならぬとか。 |
「厳格だって! 例えばどんなのがあるんだい?」 と問いかけてくるのは夏椿。 それじゃコーシェルに詳しい 河原鶸に訊いてみようか。 |
どうです鮮やかな黄 |
シナイ山上空 2006年7月 (カイロからシャルム・エル・シェイクへの飛行途中) 紀元前1280年頃、モーセがヘブル人をエジプトから脱出させ(出エジプト)、 シナイ山で神ヤハウェと契約を結ぶ(十戒、律法)。 そのユダヤ教の生まれたのが スエズ湾とアカバ湾に挟まれたエジプトの シナイ半島だってのは知ってる? ほら、この画像、観て! ・ まるでヒマラヤのように観えるけど これ雪じゃなくて砂漠なんだ。 こんなカラカラの大地で理由の解らん禁欲的な コーシェルが生み出されたんだね」 |
草食動物は食べていいけど 割れた蹄の動物で反芻する動物のみ。 となると馬は蹄の割れてない奇蹄目だから 草食動物でも食べちゃダメ。 ・ 海や湖に住む生き物では、 ひれと鱗のある物は食べていいとか。 エビ、カキ、タコなどはだめで 猛禽類や死肉を食べる鳥などはだめとか まー兎に角、面倒なんだ。 |
スフィンクス(カーフラ王) 2006年7月 カイロ |
4作目の大皿にも皹 7月6日の作陶日 皹割れた大皿も会話に参加。 「まーまー、ユダヤ教が 現代人にとって大変な宗教 らしいとは解ったけど かえって、この飽食の時代にあって 見習うべきとこも あるんでは! |
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それよりも問題は あのアンネによって描かれた 薔薇を破り捨てた男が 何故、大きな口をアフアフさせ ≪おれはひとりの修羅なのだ≫ と云ったのか?だろ?」 致命的な皹を見つめながら 再び土に還すか それとも一縷の望みを賭けて 焼いてみるか 仙人は4作目の大皿の声に 耳を傾けるのでした。 |
聞くたびに蜩の音色は、 如何なる楽器の音色よりも 鳥や虫の鳴き声よりも美しいと しみじみ感じる。 折角、森の演奏家が やって来たのだから、 劇場となる山荘の庭を綺麗にしなくては! |
梅雨の晴れ間には芝刈りも 昨夕、待ち望んでいた蜩が啼いた。 もう嬉しくて唯うっとり。 ビアの摘みにこれ以上のご馳走は無い。 と思っていたら夜明けと共に 再び蜩が啼いた。 何たる贅沢! |