混沌仙人終焉の抄Ⅱ

2431ー2026年 如月 

やーやー鯉が出てきた、早春だぜや!
3月1日(日)晴 凍てついた池が融けて躍り出た鯉と久遠花
 


 ヤッホー春が呼んでるぜ!
3月1日(火)晴
 奥庭の白梅の後に紅梅が一輪だけ咲いた



ありゃ!確か昨春には無かったのだが!
3月1日(火)晴
 前庭石卓の山茱萸が新たなぷちクレールを黄金の光で祝福!




枯葉の海をラッセルじゃ
2月3日(火)晴 
うおー深い、沈むぜ!冬の森は実に愉快だね!  




森での会話

星を見上げる。数時間後再び星を見上げる。
確かに天空の星々は地球を中心として回っている。これほど確かな事実を疑うことは出来ない。
カントの認識論による対象である星々が、《星々は地球を中心として回っている》との認識を形成したのだ。
認識と真実の乖離に気付き正そうとした天文学者は、
異端審問に掛けられ真実を放棄する旨の異端誓絶文を書かされ隔離された。




膝から太腿まで沈む! 



 
 遂に胸までか!よーし、それじゃ助っ人だすぞ
 
2馬力でラッセルすればなんのその! 
 



認識と真実

真実を放棄せねば死刑をも覚悟せねばならなかったのだ。
その後カントは理性を含む認識構造が対象を規定すると観点を切換ているが、
理性を欠いた対象中心説的認識は相変わらず真実との乖離を生じ続ける。
この乖離感覚は意識下にあり、
ある強烈な体験や刺激などの媒体によって、突如浮上し認識と真実を同質化してしまうことがある。



 森は葉を落として春まで微睡む
 
森も冬には寒さや乾燥から身を護る為に眠るんだよ!



隠遁者

そうなると対象中心とする世界認識は崩壊し、
崩壊した世界に留まるか真実の幻影に飛び込むかの決断を迫られる事にもなる。
例えばその媒体がヒマラヤK2峰遠征であったら、その後ヒトは如何なる生き方を描くのであろうか!
一人はHermitなんぞと称して森に居を構え、
失った8隊員のカロートを造り隠遁者らしきコペルニクス的展開を図ったとか!



枯葉は天空から舞い降りてきた無数の星々なんじゃ!

 


仙人の認識構造では・・・
   
これは星なんじゃ!
 
 こうして星を集めて銀河団にして!
 

 もっと集めて超銀河団にして!
   
この星々を野菜や果物に還すんじゃ!