ももな



















≪混沌仙人現況と対応控≫
 
A 回帰プロセス進行状況

 
肺腺癌(2007年7月、CTスキャンで右下葉に石灰化した核を持つ肉芽腫確認、その後がん研有明病院で精密検査し現在経過観察中)
 2018年5月、大動脈弁閉鎖不全症(中程度から高度)と大動脈弁輪拡張症(AAE)が判明(5月現在42.6mm、正常値25~30mm)。 
  いずれもオペ対象。(現在、国立国際医療研究センター通院中)

 ①については肉芽腫の増殖など変化が生じるまで静観。 ②については選択肢は2つ。
 a)ベントール手術をして機械弁か豚や牛の生体弁又は人間死体の凍結弁ホモグラフトに置き換え、同時に拡張した血管も交換する。
  機械弁は機械音に悩まされ、更に弁に血液凝固し脳梗塞にも陥るので、血栓を防ぐワーファリンを一生呑み続ける必要がある。
  生体弁は血栓の惧れは少ないが10年ほどで再手術が必要になることが多く、再手術では9%以上の死亡率と推定。
  ホモグラフトは日本では殆ど行われず、保険も効かない。
  手術中は当然のことながら心臓の動きを止めて人工心肺で生命を維持する。
  つまりその間、心臓は仮の死に陥っている臨死状態にあり、手術が成功すれば患者は死の世界から甦ることとなる。
  この体験は患者の死生観を根本的に変える契機となることもあり得るのでは! 敢えて仙人が手術を選ぶとすれば、この臨死体験への興味である。
  この体験を実現するには甦ることが前提となるので(アホ、甦りを前提としない患者がいるか!)、施術経験の豊かな医師チームの居る病院を
  選ばねばと調べたら、1位が東京府中市の榊原記念病院で2016年の心臓手術数は835(弁膜症288)、
  2位は大阪吹田市の国立循環器病研究センターで773(弁膜症312)、3位は日高市の埼玉医科大学国際医療センターであった。
  通院中の国立国際医療研究センターには循環器外科はないので、手術を決意するなら榊原記念病院辺りを検討せねば!
 b)30年間に亘る酸素希薄な高所登山での過酷な使用と74年間の経年劣化による症状であり、寧ろ此処まで稼働し続けたことに感謝し、
  心臓そのものの寿命を受け入れオペはしない
  経年劣化による不全は心臓にとどまらず、他の臓器なども同様な状態にあると考えられ、
  オペ後も連鎖的に他のオペが必要となり山荘活動が出来なくなる可能性が大きい。
  つまりただ単に生命を維持しているだけの存在になりかねない。いずれどこかで寿命を受け入れねばならないのだから、意思決定能力のある内に決断したい。
  オペをしない場合、呆けずに生き続けられれば大動脈弁輪拡張症が進行し血管壁が薄くなり、ある瞬間に破裂し短時間で死に至ると考えられる。
  ①については年1回の定期検診で肉芽腫の増殖など変化が見出されてからの処置となるが、
  ②についてはオペをしない場合の血管破裂は予測出来ず、突然死となる可能性あり。

 


 B 回帰までの対応

 オペ後の山荘活動が可能と判断しオペを受け入れ、実際に活動出来る場合:
  前向きで高い生活の質を求めるとなると、機械弁ではなく生体弁の置換手術となるが、生体弁の寿命は10年ほどで、死亡率の高まる再手術が必要となる。
  再手術をする意志は無いので余命は10年ほどとなる。この10年間は今までと同じように陶芸活動、山登りや大地耕作に汗を流す山荘活動を継続する。
  予測に反しオペ後の山荘活動が出来なくなっても居住拠点は山荘にする。手術障害が残り自力での生活が難しくなった時は、
  甲州市に設置されている社会福祉協議会やシルバー人材センターが実施する有償ボランティア事業を利用してヘルパーの介護を受けることにする。
 オペをせず心臓の寿命に委ねる場合:
  突然死が予測されるが、動脈破裂してから24時間以内に死に至るケースが多いので、
  生じた場所が目白であれ山荘であれ、病院に搬送されても心臓外科手術は行わず死亡の確認に留める。
  中途半端な延命手術を行うことによって手術障害を生じ、本人の最も望まない植物人間状態に陥ることは避けたい。
  従って病院搬送も急ぐ必要は無く、発作場所が山や山荘周辺の森、畑で発見が遅れても問題無い。

 C 墓標としての山荘

 墓は不要であり現在○○家として在る墓にも埋葬しないで散骨葬とする。
 散骨の場所は山荘奥庭北の小滝上とする。

 戒名として≪仙人≫の文字板を作陶し既に小滝の壁に設置済み。粉骨を収納する骨壺も4個制作済み。
 2mm以下の粉骨であれば刑法190条の遺骨遺棄罪に該当せず、個人が節度をもって行った散骨については、特に法律で罰せられたという事例は無い。(2018年9月の時点)
 散骨許可に関する条例のある市区町村もあるが甲州市には無いので、葬送を目的として個人が節度をもって実施する分には遺棄罪にはならない。(法務省刑事局見解とみなされている)

 山荘を墓標とする期間を20年と定め、その間の山荘必要経費(不動産税、所有者の市、県民税、光熱費等)を相続者に生前支払いを行う。
  20年後の売却、貸与などは相続者の判断に任せる。なお現在山荘が今後20年維持できるようメンテナンス実施中。
  2018年11月段階でメンテを終了したのは以下。

 a)下水道を掘り起し5か所の弁を交換。
 b)居間、2階の3室のFFストーブをコロナの最新型に交換。
 c)太陽光利用の朝日ソーラーの風呂釜を最新型に交換。
 d)2階西のイオ部屋に新たにテラスを設置し、東のアマルティア部屋のテラス壁の雨腐蝕を防ぐ張替を行った。
 e)風呂場の断熱材の入った壁内部は湿り気が多いので腐蝕し易く、シロアリの発生源になるので、南面と西面壁を張替えた。
 f)作陶場に書庫を造り、2階部屋と廊下の書架にある大量の書籍を移動し、居住性を高めた。
 g)山荘宅地と庭を除く所有地は現在公図で畑地11本、原野6本計17本、面積8913㎡(2701坪)が
  ○○○○名義で仮登記(畑)、本登記(原野)されているが境界は定かではない。
  測量を2014年11月に宮下測量(笛吹市石和町)に依頼、当時の見積もりで測量費用139万5920円。
  この畑、原野は購入後も殆ど手つかずで放置したまま現在に至る。相続者の要望があれば生前に測量を実施し、境界杭を打ち込むことも可能。
 h)山荘に加圧して水を送る給水ポンプを荏原製作所の最新型に交換。



 8千mの山巓直下で息絶えた中島修を始め、仙人は8人の若き隊員を山で失った。8隊員への想いを込め、滝の自然石である大岩を墓標にした。
 相続者は山荘を墓標として意識する必要は無く、山荘そのものも墓標を窺わせるものは無い。
 在るとすれば小滝の戒名だけであるが、8隊員の想いを込めた戒名と認識しているのは本人だけで誰も≪仙人≫の文字から墓標を連想することは無い。
 従って20年間はこの仙人プレートを外さないで欲しい。




墓標としての山荘
2021年4月24日(曇) 山荘書斎

退職後シリコンバレーを離れ帰国し、日本に永住するなら、山荘は陽介君に面倒見て貰うのがいい。
山荘管理維持に積極的な意欲を息子たちが持たないならば、陽介君に山荘の全てを任せよう。
山荘は単なる山の住居に留まらず、仙人と遭難死した8名のヒマラヤ隊員の墓標でもあり、果たして陽介君が承諾するかが問題である。
そこで何度か、今後帰国し日本に住む予定はあるのか陽介君に訊いてみたが、今のところ帰国し日本に住む気持ちは無いと云う。
だが退職時期が迫れば、気持ちに変化があるかもと、毎年帰国予定を尋ねていた。
帰国の度に山荘に来て数日を共に過ごし、畑仕事や登山を愉しんで来たが、陽介君はシリコンバレーを離れる気持ちは観られない。
従って山荘の問題も言い出せず、いつしか27年もの星霜を経てしまった。