キラ峰(6103m)初登頂
                                         隊長 坂原忠清

ゆるやかな壁がたおやかに、空の高みへと舞い上がる。
その白いドレスの先に、永い間求め続けてきた大切な何かが、
私を待っている。

もうすぐ会えるだろう。

ヒマラヤ登山記録

第5回チベット未踏域遠征隊
キラ峰(6103m)

派遣母体: 日本教員登山隊、スビダーニェ同人
遠征隊名称: チベット日本教員登山隊2002
後援: 朝日新聞社、川崎市国際交流協会
目的: チョモカン峰(7048m)北面からの初登頂
隊の構成:   隊長:坂原忠清
   隊員:村上映子、 チベット隊員:ピンゾー(24歳)
   連絡官:ワンドゥ(22歳)、コック:テンジン(27歳)
 遠征期間:  2002年7月23日~8月16日
遠征結果:  キラ峰の初登頂(坂原、村上、ピンゾー) 

遠征日程概要



7月23日: 東京→成都 前夜池袋のライオンで家族4人の食事。オペラ歌手が我々のリクエストを謳ってくれた。 8月5日:
C1→北壁→無名峰(6103m)登頂 10:30発北壁取り付14:45→頂17:30→C1着19:30
7月24日: 成都→ラサ 空港税50元が手元になくドルも使えず村上無料でゲート突破。部屋に酸素発生器あり。 8月6日: 停滞 C1周辺の偵察と撮影。モレーンを超えた処に氷河湖あり。鉱山植物の宝庫。ブルーシープ遭遇。
7月27日: ラサ→ヤンパーチン 鉄道建設中で鉄道に沿った新道路を3時間走る。6人の現地スタッフの撮影。  8月7日: C1→2次登頂 9:30発→頂11:54着 村上、ピンゾーの2名でキラ峰と名付けた無名峰に西稜登頂。
7月28日: ヤンパーチン→BC 10時出発11時20分スギラ、12時30分BC(4640m) 上の夏村まで偵察。  8月8日:
C1→3次登頂 北壁からの登頂は氷壁登攀で撮影が充分出来なかったので再度撮影の為に登頂。
7月30日: 昨日峠下の5145mまで偵察。本日は昨夜からの雨で停滞。 8月9日: C1→ABC 10時発ABC着13:45 どうにかヤクを1頭調達し下山。結局チョモカンは見られず。
7月31日: BC→ABC 10時半出発キラ峠(5395m)14:33着。15:40ABC(5005m)着。チョモカン見えず。  8月10日: ABC→BC 雨と霙の中、キララ(峠)を超えて草原のBCへ。途中ヤクテントに寄ってヤク毛紡ぎ撮影。
8月2日:
ABC→C1 谷をつめてチョモの裏に出ようとしたが遙かに遠い。5時間かけてやっとC1(5200)着。 8月12日:
BC→ラサ 北京大学20人隊がシシャパンマで遭難、5人が雪崩で死亡。即捜索隊にピンゾ-参加。
8月3日:
大雪で停滞。ここから先ヤクの調達が出来ずどうしたらいいのか? 8月13日: 第7中学訪問 絵画展の絵交換と授業見学。村上英語の授業を行う。
8月4日: ABC→C1 11時発C115:45着。ヤク無しで4人で荷上げ。重くてとても無理。苦しい1日となった。  8月16日 15日ラサ→成都 16日成都→東京  




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キラ峰 6103m

                  坂原忠清

 (1)ここは何処だ?

確かにあるはずなのだ。

 タブラ峰6564mのほぼ真南に位置する大本営(ベースキャンプ:BC)から北西に進路をとり、5395mの峠を越えてチュモ谷を下り、二股に出る。カバレーと記されたヤクキャンプ地にABC(前進キャンプ)設営。

 ここまでは地図と一致するチュモ谷を更に下り,三つの谷の合流点で右(東)の谷パルンに入り遡行。間違えようがない。地図と寸分も違わない。
 
このまま遡行を続ければ、あと1,2時間でタブラかチョモカン(7048m)の北壁直下の氷河に出るはずである。
それから5時間、休みも取らずただひたすら登りつづける。

 合流点から5km程上部に氷河は位置する。重い荷にもめげず、登山学校で鍛えたピンゾーとワンドゥのピッチは速い。登りにもかかわらず、平地並の時速に近い3kmを維持している。


5時間×3km/h=15km

 おかしい。もうとっくに北壁直下の氷河に着いている筈である。たぶんあの南東から支稜を超えれば、氷河に出るのであろう。「氷河はまだですか?」とピンゾーが後ろから声をかけてくる。

 私の2倍、30kg以上の荷を背負い、5時間を越える長時間行動に流石のピンゾーも疲労のいろは隠せないようだ。私の左アキレス腱痛を押さえる鎮痛剤もそろそろ効果が切れる。

 もう一錠追加して飲むためにも、一本休息を取らねばならない。「あのリッジに出たら、氷河が見えるだろうから、そこで休もう」

 
 

 しかし稜線上から僅かに見えたチョモカン7048mは遥かに東南方にあり愕然!15km近くも遡行したにもかかわらず、チョモカンは、遥か彼方。

 いったい、ここは何処なんだ。


  前人未到のチョモカン北壁に会える。その歓びの瞬間をエネルギーにして、重い荷と長時間登行に耐えてきたのに、何たること。一気に疲労が膨張し、肉体と精神に遍満する。3人とも暫し声なし。

 
 (2)北壁登攀に決定

 「判らない」と言うことが判った。
これが結論であった。タブラ峰のほぼ真南に位置していることは間違いないが、最大限譲歩してBCの位置を5km西に想定してみる。

 
 すると超えてきたキララは6373mのタンモンヘ峰近くになる。当然キララの目の前に屹立する巨大ピークはなかったが、敢えて想定を進めてみても、そのまま南の谷を下ればやはり同じパルン谷に出てしまう。

 
 我々のキララの位置同定が正しいとするならチョモカンと我々のBCの間にはもう一つ山塊が必要になる。だが地図上にはそのような山塊は無い。


 地図が正確だとすると、我々は地図上にない、異次元の空白部分に迷い込んだことになる。チョモカン北壁を目標にした今回の遠征登山は、アプローチの段階で既に失敗したことになる。

 
 失敗?もしかするとこれは神のプレゼントかもしれない。情報氾濫社会で真っ黒に塗り潰された地球上に、空白があるなんて

 と自らの無知と失望をなぐさめつつ、遥か東方のチョモカンを見つめる。さしあたり、この重い荷を何処かに降ろしてキャンプ1(C1)を設営せねばならない。


 稜上から南を見下ろすと、パルン谷源流が見える。あそこにC1を設営するしかない。だがパルン谷を越えて更に奥のキャマ谷まで詰めたが全くの徒労でしかなかったのだ。

 
 アキレス腱の痛み止めを飲んで下降開始。左手東方、パルン谷源頭に岩と氷の山が見えてくる。西方に延びる長い岩尾根は、稜直下が部分的に垂壁となっているが、北壁の氷壁は綺麗なラインを描き、登攀意欲をそそる。

 
 これは神のプレゼント!

 登らないと言う手はない。ヤクでのキャラバンが組めない以上、チョモカンは断念せざるをえない。目標変更。新たなターゲットは、目の前の未踏無名峰北壁。

 

 (3)ブルーシープ

 ブルーシープを見た。草食動物独特の優しい瞳で、じっと見つめられた。ビデオをまわしたい。でもほんの少しの動きを敏感に感知し、飛び跳ねるように逃げてしまうに違いない。

  
 もっと見つめ合っていたい。ビデオ撮影を諦め黒い瞳に見入る。潤みを帯びた漆黒の球体からの波長が、2つの生命のテンションを静かにたかめて迫り、私の心をときめかす。

 この優しい瞳は何を伝えようとしているのか?闇に優しさは無い。認識を拒絶した絶望と死がもたらす冷酷無比な闇は、存在そのものの墓標。漆黒の球体はいつだってブラックホールなのだ。


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 にもかかわらず、何故にこれほどまで私の心に迫ってくるのか。
「おい!君は何を伝えたいんだい」と呼かけたとたん山稜へ身を翻し一瞬にして消えた。

 
 失ってしまった黒い瞳を追って山稜に立つと、ブロンズ色の小さな氷河湖が眼下に現れた。ゆるやかなモレーン丘の下り斜面に、青い芥子の花やシオガマ,岩爪草の仲間等沢山の高山植物が群落を作り、その底にひっそりと氷河湖が横たわっている。

 きっとブルーシープも、あの湖を利用しているのだろう。
氷河湖から天空に目をやると、我々の新たなるターゲット、未踏無名峰の西稜が豊かな量感を伴って迫る。裏側にある白い北壁はここから見えない。北壁登攀後は山頂から下降路として西稜を使うことにしよう。

 
(3)北壁登攀

85日(月)晴れ後雪後曇

 動脈血中酸素濃度・・・82%

 起床後安静時心拍数・・51/

 起床時体温・・・・・・35.6度

 高山自覚症状・・・・・2/

 アタックの朝としては申し分ない肉体条件である。

 C1発・・・・・・・・1030

 北壁登攀開始・・・・・1445

 登頂・・・・・・・・・17時30分

 C1着・・・・・・・・1930

 又もやピンゾーが行方不明になってしまった、北壁へのルートファインディングは難しいので、坂原とピンゾーそれぞれが行い、村上がルートを追ってくる形でC1をスタートした。

 西稜を西から回りこんで、目標とする無名峰の北面まで一緒だったが、北壁が見えてから、ピンゾーが消えた。昨年もニマと行方不明になりTMA(チベット登山協会)に救助要請を出して大騒ぎになる直前に、ひょっこり戻って来た。又か。

 
 北壁はすぐ目の前に見えているし、間違えようがないのだが、目を凝らしても何処にも見えない。氷河湖を越えて累々と連なるモレーン(氷河堆積)を登り、北壁基部に出た。ここで行動食をとりながらピンゾーを待つ。

どうやら村上もピンゾーの後を追って行ったようで、影も形も見えない。

 ルートを間違えるとしたら、偵察の時超えてきた北の山稜に出て、キャマ谷に入ったとしか考えられない。しょうがない探しにいくか!

 予想が当たった。北の山稜まで出るとキャマ谷のほうから、ピンゾーが戻ってきた。

 
 「sorry!」を繰り返す。キャマ谷の奥に北壁の取りつきがあると勘違いしたらしい。村上も一緒だと言う。言葉通り村上が上気した顔で姿を見せた。

 
 14時45分登攀開始。ハーネスを着けザイルを結ぶと心が躍る。核心部は氷壁中央のゴルジュ(喉)になった最も急な部分だ。

 村上にビデオの撮影をお願いして新雪に覆われた氷河を登る。新雪の数cm下はガチガチの堅い氷で、新雪がアイゼンと氷の間に挟まりアイゼンの爪が効力を発揮出来ない。

 最悪のコンディション。ピッケルでまとわり着いた雪を叩き落しながら前進。
まず岬のように突き出ている右の岩稜を目指して坂原がトップでザイルを延ばす。

 岩稜に近づくにつれて傾斜が増し、コンテ(continuance)で登るのが難しくなる。ピッケルを氷壁に突き刺し確保態勢で、ザイルを引きピンゾーを上げる。

 
 雪が舞い出した。このまま降りつづけると表層雪崩の恐れがある。一瞬進むべきか否か躊躇するが、核心部は目の前、ここさえ突破すれば危険性は回避できるであろうとの直感で前進決定。

 
 核心部左のトラバース(横断)を開始。直登は、かなり難しい。岩と氷のミックスした登攀となり、傾斜が強いので身体が完全に宙に浮き出してしまう。氷壁の左の方が僅かに傾斜が緩く、表層雪崩の直撃から逃げられそう。


 2ピッチ(50mザイル×2)でトラバース終了。しかしかなりの斜度で、左の氷壁もアイスハーケン無しでの登攀は困難。
滑落の恐れが充分にあるので、岩の割れ目にシュリンゲ(輪ロープ)を通し、シュリンゲが外れぬよう岩を楔にして打ち込み身体を確保する。

 更にピッケルをハーケン替わりにしてクラックに打ち込みカラビナ(金属輪)をセットしトップを確保する。
これでザイルのトップの滑落をくい止めることは出来るがこの先数ピッチで岩稜は終わり、トップの確保はアイスハーケン無しでは困難になる。落ちることは許されない。

 
  


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 前進準備は出来たが、雪は降り続ける。ピンゾーとトップを代わる。慎重にゆっくりとピンゾーが登りはじめる。薄く新雪に覆われた氷壁は堅くて、一度だけでの蹴り込みではアイゼンが刺さらない。

 2度3度
不安を打ち消そうとするかのようにピンゾーがアイゼンを蹴りこむ。 3ピッチで岩稜は終わり、確保のとれない氷壁になる。気休め程度にピッケルを氷壁に打ち込み、お互いを確保しつつ僅かずつザイルを延ばす。

 
 音もなく高速で迫る点影。反射的に首を竦める。小さな点影は下の岩稜で大きくバウンドし下部氷壁に消えた。多分、今滑落するとあの落石と同じ軌跡を辿って、二人の肉塊も下部氷壁に消えるのであろう。

 
 気が付くと降雪のスクリーンは消え、透明な大気が戻りつつあった。氷壁の終了点である雪稜が目の前に迫る。傾斜が緩み氷壁の左側(東端)に東方山塊の山嶺が展開し始めていた。
 
 

 登攀に夢中で全く気がつかず、視野にパノラマが飛び込んできた瞬間、思わず「オー!」と叫んでしまった。追い詰めていたターゲットのチョモカン(7048m)が、今正に旅立たんとするかのように天空に屹立し、白銀の姿態を晒す。その北に連なる山脈に、5年前登ったMt.SAKAが見えるはず。
 

 目を凝らす。

 豊かな雪を纏ったどっしりとした峰は、多分ガルブ峰かその手前のバイ・ガングラクン方で、そうその後方の三角錐だ。あれがMt.SAKAであろう。ここから直線距離にして20kmであろうか。

 
 追憶に浸っている状況ではない。再びトップを代わり、29ピッチ目の登攀に入る。右側の山頂から優美なカーブを描いて、雪稜が北壁と合流する。しかし山頂そのものは未だ見えない。


 

 2ピッチで雪稜直下に達する。見上げると天空の煌きに縁取られた雪庇が、黒々とした影を落としている。金環食のような光と影に吸い込まれるようにして、雪稜に出る。

 
 北壁の影から抜け出し、一気に太陽の光を浴び、全身が暖かさに包まれる。緊張から開放されとても幸せな気分になる。その途端、雪の段差を踏み抜く。

 ここが極めて危険なヒマラヤ山稜であることを思い知らされ、冷や汗をかく。
ゆるやかな雪壁がたおやかに、空の高みへと舞い上がる。その白いドレスの先に、永い間求め続けてきた大切な何かが、私を待っている。
    もうすぐ会えるだろう。

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