山荘日記

その3-2006年如月


如月・3週

2月18日(土)晴払暁 ー4℃  於 座禅草の森(早朝トレーニング)

(ニクスイカジョ)
肉穂花序
割れ目から
僅かに顔を覗かせた。

先週は暖かい日が
続いたので
若しかすると気の早い
座禅草が
花芽を出しているかな? 
と思って座禅草公園へ走る。

やっぱり!
硬く凍結した氷の中から
しっかり肉穂を付け
凛として存在。
どうして氷の中から
花を咲かせることが
出来るのか?

こいつ実は哺乳類と同じ
発熱遺伝子
持っているのだ。
肉穂にセンサーをあてると
20℃近くある。

この遺伝子を稲に組み込めば
自ら発熱する
低温に強い稲を作れる。
そのプロジェクトは
最早やスタートしている。

春の兆し・・・発熱遺伝子と座禅草
分子生物学の伊藤菊一
助教授(岩手大)情報提供



2月18日(土)晴夕刻 7℃  於 奥庭の池

人間は神々の領域であった
遺伝子の世界へ
やっと近づいた。
ES細胞
(human embryonic stem cell)
の培養技術が
1998年に開発され
いよいよ人類は
神の扉に手を掛けた。
初期胚から取り出した
未分化細胞が特定の
器官や臓器を
創り出すのは時間の問題。

池の鯉がかぷかぷと笑った。
笑い声が波紋となって
水面から空間に拡がる。
左上の岩からクレソンが
眠そうに唱和する。
《おいおい!
あんまり笑わせるなよ。
遺伝子操作なんて大昔から
我々がやってきたことだぜ。
勝手に君達は
突然変異
なんて言ってるけどさ》
春の兆し・・・クレソンと鯉 知的存在研究学会の呉尊吐恋会長情報提供



如月・2週

2月11日(土)快晴払暁 ー12℃  於 笛吹川東沢

垂直に流れ落ちる瀧が
時を失った。
流れは時間と位置の
2次元で表現出来る。
流れは時間を失うと
位置のみを残して
停止してしまう。
時が停止しなければ今
目にしている激流は
海への旅を終えてイルカと
戯れているかも知れない。
しかし時は死んだ。
ガイヤの強大な引力を
以ってしても
激流は微動をも出来ない。
山荘の北の渓谷に出現する
この《時の死》に
逢いたくて
又やって来た。
時の死・激流の凍結


2月11日(土)快晴   於 笛吹川東沢乙女の瀧上部

時の死に挑む
登攀:坂原忠清 セカンド:大田正秀 撮影:村上映子

時の死は招く。
《ようこそ!ずーっと待っていたんだよ》その一言を聴くために早朝トレーニングを1週間も止め
発熱と激しい咳に耐えてひたすら休養に努めこの日を待った。
この私が風邪程度で寝込むなんて誰も信じはしない。
しかし病状は去らず今朝も車中で薬を飲んで眠り続けた。

・・・間違いではなかった・・・壮大な凍れる瀧を目の前にして病身が呟いた。
【ヒマラヤの高所キャンプで衰退した肉体と今の病身を比較してみるといい。どちらがダメージが大きいか?】
言うまでも無い。極端なまでの低酸素、低温下でのヒマラヤの疲労と比べたら話にならない。
むしろ高所キャンプからのアタックに現在肉体条件が近いならば大いに歓迎すべし。
判断に間違いは無い。

咳止めマスクを外しヘルメットを被りアイスハーケンをハーネスにつけ
クランポンを《時の死》に蹴り込む。アイスバイルを蒼氷に叩き込む。
氷瀑登攀開始。


2月11日(土)快晴   於 凍れる瀧中央

邂逅・刹那の凍結
登攀:坂原忠清 セカンド:大田正秀 撮影:村上映子

クランポン先端の小さな2本の爪に全体重を掛ける。
体重に耐え切れずアキレス腱から脹脛にかけて痛みが走る。
痛みに負けて力を抜けば一瞬にして墜落する。
凍結してしまった刹那の座標平面にもう1つの生命の座標平面が揺らぐ。
不意に幻聴のように激しい瀧の音が鳴り響く。

時を復活した激流が一瞬にして生命の座標を襲う。
肉体を支えている氷は激流となって肉体を飲み込み2つの座標は重なる。
刹那との邂逅の果てに肉体は時の幻想を奪われ無窮の時空に霧散する。
存在は幻想だったのか?



2月11日(土)快晴 
  於 凍れる瀧上部

幻影・時空の旅
登攀:坂原忠清 セカンド:大田正秀 撮影:村上映子

地球は45億年の時空に浮かび凍結した瀧は僅か数週間の刹那に煌く。
私の肉体は数十年の須臾に漂う。
目を閉じるそして再び目を開ける。
この凍結した瀧は一刹那の瞬きで轟音を立てる瀑布と化す。
目を開けて肉体を見つめる。
目を閉じる。肉体は微かな痕跡すら残さず消える。

疲労で硬直した筋肉が限界を超え発熱と咳発作が
弱体化した肉体を直撃する。氷が割れクランポンが宙に浮く。
《アッ!落ちる》
鋭い叫びが木魂する。体重の掛かったピッケルが抜け
最後の右手のアイスバイルが、辛うじて墜落をとどめる。
死の恐怖と同時にアドレナリンの分泌が始まる。
ヒマラヤの高所登攀時に
スイッチが切り替えられたのだ。
弱体化した肉体は凍結した時の死の中で
新たなる生命座標を獲得する。
《刹那で在るからこそ無窮の時空に生命を描かねばならない》
あの高揚したヒマラヤの瞬間がやって来たのだ。


2月11日(土)快晴   於 凍れる瀧《懸垂下降

刹那の凍結との別れ
登攀:坂原忠清  セカンド:大田正秀 撮影:村上映子

美しい一編の詩であった。
山荘の北の渓谷に出現した刹那の《時の死》は
私の弱体化した肉体を超えて尚惹きつけて止まない。
あの美しい《時の死》には森羅万象の
総てのメッセージが籠められている。

死の恐怖が齎したアドレナリンは私の肉体と精神から衰退を奪い
無窮の時空へと飛翔を促す。
今、私は重力の呪縛から解き放たれ45億年の壮大な時空を舞う。
太陽系第三惑星とペアになってあのパプア・ニューギニアで遭遇した
巨大マンタのように優雅に時空を舞う。



如月・1週


2月4日(土)快晴払暁 ー8℃  於 2Fアマルティア

激しい新陳代謝の末
アマルティアの大気から
吐き出された2つの水素原子
と酸素原子1つが
抱擁したままニ重ガラスの
内側で凍結した。
Oの凍結粒子は
無数の星々となりガラス膜に
稠密な銀河雲を形成する。
やがて水晶峠から一条の光が
銀河雲に差し込み
凍結した抱擁が
薔薇色に染まる。
薔薇色の光がゆるゆると
凍結を融かす。
銀河雲は白く煌きながら
恰も何も無かったかのように
蒸散してしまう。
誕生と消滅。
この瞬間の絶望的なまでの
美の誕生を讃えねばなるまい。
《Happy Birthday!》
結晶誕生と消滅



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