もう1つのヒマラヤ・・・国際文化交流・子供たちの絵画と報道記録 |
---|
タジク族の娘・・・ シルクロード、文明の十字路 と言われたカシュガルの 第六中学の生徒が描いた油絵。 砂漠のオアシス都市では 油絵の画材入手は難しい。 授業参観で王君には 逢えなかった。 作:王学賢 |
人物習作・・・ 贈日本朋友と裏面に書かれている。 我々の遠征が5月 北京での調印式で正式に決まる。 日本との絵画交換展実施の命が 北京から六中に下され 8月までの間に書き上げたのであろう。 作:裏書名なし |
世界の高峰を登り、 辺境の地に住む現地の子供たちと 絵画交流を図り 日本教員登山隊は 三十数年にわたり 海外登山を続けてきました。 |
|
---|---|
The Pakistan Times 1989/9/9 In the Islamabad |
タッチに大胆さと繊細さ 連載G《絵画交流》 読売新聞 1985年6月2日 |
これが中学生の作品! 読売新聞 1981年10月13日 |
リャマと月とケーナを吹く少女・・・ ペルーアンデスの最高峰ワスカランの 麓にあるサンタローザ・デビテルボ 中学校の生徒は、絵の具まで自作。 石の粉、チョークの粉等に 染料を混ぜて絵を描く。 作:カルメン・トレンディ・カラコ |
インディオ・・・ 貧しくて食べ物が無い 貧富差による差別、病気。 この3つが学校の最大の問題と 尼僧校長は語った。 寄贈した日本からの文具は 大歓迎された。 インディオの子供達は 月や太陽を好んで描く。 作:ロレナ・ロリ |
登山の際に 現地の学校を訪問し 文房具を寄贈し 日本の子供達が描いてくれた絵画の 展示会を開きます。 登山後再び学校を訪れ 寄贈した文具で絵を描いてもらい 日本で現地の子供達の 絵画展を開いてきました。 |
|
---|---|
インドの生徒の作品見て 読売新聞 1985年11月2日 |
ヒマラヤの子守娘・・・ ニューデリーのメータ学校は サンスクリット語を必修とした 小中高一貫で 特に芸術にも力を入れている。 陶芸作品の寄贈も受けた。 作:スワティー・カシャプ(12歳) |
結婚式の花嫁・・・ 多宗教の国インドでは 様々な結婚式の形態を目にする。 ヘマさんはシバ神を祀る ヒンドゥー教の花嫁を描いてくれた。 作:へマ・ジャイン |
装飾品で美しく飾る女性 連載J《絵画交流》 読売新聞 1985年6月7日 |
表情生き生きと100点 朝日新聞 1985年11月2日 |
食事風景: ブータンの民俗衣装ゴやキラを着て 食事する家族の日常が描かれている。 モティタン高校も小中高一貫で この絵は小学生が描いた。 鎖国していたブータンの解禁で 連日が驚きと興奮の日々であった。 作:ニペン・ウイ |
ソ連邦消滅・・・ 8月19日クーデター。登頂後 カザフ共和国の子供達が描いてくれた絵は ヘリによる爆撃であった。 激動のソ連邦から我々は無事脱出来るか? 産経は6回の連載を組み 各紙も報道した。 作:ラーシン |
私達が訪れた世界各国・・・ アフガニスタン、インド パキスタン,旧ソ連邦 中国、チベット、ネパール タンザニア、ペルー アルゼンチン、ブータン ヨーロッパ等・・・ から寄せられた 絵画作品は2千点を 超えました。 ここではその 一部を紹介します。 |
|
---|---|
絵は世界の共通語 朝日小学生新聞 1992年2月11日 |
ウィグル老大爺像・・・ まずこの絵の風格に度肝を抜かれた。 和紙のような漉いた紙に描かれた 墨絵のような効果を クロッキーで表現している。 作:羹欣 |
大爺像・・・ 砂漠の砂嵐に削られたような アフガニスタンでよく見かけた顔。 人種の坩堝・カーブル カシュガルの子供達は 好んで老人の顔を描く。 作:泰建新 |
サッカー選手への夢描く 連載L《絵画交流》 読売新聞 1985年6月14日 |
来夏、未踏のブータンへ 神奈川新聞 1984年12月11日 |